母のこと

2008年7月28日 (月)

母の納骨をすませた

母の納骨をすませた。

さらさらと、白い粉になった母・・・

32年の時を経て、やっと、父とともに静かな眠りについた母・・・

私の住まいからは少し遠いけれど、お父さんとお母さんの

終の棲家になるんだよね。

できるだけ、行けるようにするから・・・・

また、近いうちに。

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2008年6月29日 (日)

遅まきながら、母の一周忌法要

母の命日は、6月10日であるのだが、諸般の事情で一周忌法要

が命日より遅くなってしまった・・・

できの悪い我が子たちのことを、呆れているんだろうなぁ、母は・・

とにかく、今日、6月29日、弟の自宅から近い、さいたま市内の

お寺で一周忌法要を行った。

立派な本堂で、お坊様のとてもいいお声でお経を上げていただき、

荘厳というか、厳粛な空気がたちこめて、ああ、一周忌なのだ、1年

たったのだ、としみじみ感じていた。

母の望んだとおり、弟の家族と、私の家族だけで行ったので、少人

数でとても静かな、比較的短い時間の法要だった。

お坊様だけでなく、私たちもお経を唱和した。

改めてこみ上げてくる悲しみはなく、いろいろ母のことが思い出さ

れた。

母は、私の中で生きていてくれている、ということを、改めて認識

したのだった。

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2008年6月22日 (日)

紫陽花の思い出

散歩していて、美しく咲く紫陽花を見つけた。

何かが頭の中でスパークする。古い記憶・・・懐かしい光景・・・

父は、私が中学1年生のときに病に倒れ、1年弱の闘病生活の

末、亡くなっている。

紫陽花にまつわる記憶は、父が倒れる前の家族の記憶である。

神戸にある六甲山という1000メートル弱の山、ロープーウェイ、

紫陽花が両側に咲き乱れる山の小道・・・・

父と母は、ふたりで話ながらゆっくりと私の後方を歩いていた。

弟は、私の前を走っていた・・・

恐らく、4人家族全員での、幸福な最後の光景の思い出。

父の死後、母にとって、この光景は大切な思い出の宝物になった。

もちろん私にとってもだが・・・

闘病中の夫と、結婚記念日に散歩した小道で見つけた紫陽花・・・・

よみがえる30年以上前の記憶、母の思い出。

時の揺らぎを感じて軽いめまいがした。

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2008年6月17日 (火)

1年たっても・・・・

母が亡くなって、1年過ぎた。

一番変化があったのは、私の母に対する気持ちだろう。

母が亡くなった直後は、ただ悲しくて、悔やまれて、泣いて

ばかりだった。

思い出すと、悲しくなる。母に似た人の背中を見かけると泣

けてくる・・・・

そんな毎日が何ヶ月も続いた。

いつから変ったのか、記憶はないのだが、悲しさは悲しさと

寂しさの混在した気持ちに変り、寂しさメインであるときが

多いような気がするようになった。

そして、母の死後、母を知れば知るほど、感謝の念が深まっ

た。母がどれだけ私と私の家族のことをいつも心の中におい

ていてくれたか、よくよくわかることばかりであったから・・・・

生前に、もっともっと感謝の気持ちを伝えておきたかった・・・

母は、死後に麗々しい葬儀や仏具で飾り立てるのは無意味、

そういうことは、生きているうちに、感謝の気持ちからいろいろ

やって欲しいものだ・・・と、ときどき言っていた。

なんだか、母の言ったとおりになってしまっているような気もす

る・・・・ごめんなさい。

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2008年6月10日 (火)

母の一周忌

母は、昨年6月10日「頃」亡くなったと推定されている。

「頃」となってしまったのは、死体検案医の判断である。

日めくりカレンダーが6月10日になっていたことから、

6月10日までは生存していたと考えられ、6月11日の

午後8時すぎに、私が、ベットで眠った状態で母が亡く

なっているのを発見しているので、6月11日の午前0時

以降であった可能性も考えられ・・・・ということだと思う。

推定ではあるものの、今が、母の死からちょうど1年経過

した頃なのだ・・・

私が自分用に買った現代仏壇に置いてある母の写真の

前で、夫と息子と3人で、一周忌のお参りをした。

お経も、お線香も、鈴もない、静かで音のないお参りだっ

たが、その方が、母の声が聞こえてくるような気がした。

夕方、母のマンションで片付けをしていて、ちょうど帰ろう

としていたところ、ご近所で親しくしてくださった方が声をか

けてきてくださり、母の日頃の生活や言動について、思い

出話を聞かせてくださった。

この、ちょうど1年のこの日に、こんないろいろなお話を聞

かせてもらえるなんて、と、うれしさと、懐かしさと、寂しさと

が混然一体となって、涙がこぼれそうになった。

お母さん、あなたが、私のことを、私の家族のことを、大事

に思っていてくれたこと、お話を聞かせてもらって、よくわか

りました。うれしかった。本当にありがとう。

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2008年5月12日 (月)

母が亡くなって初めての母の日

昨年6月、母が急性心不全で突然亡くなってから、初めての母の

日がきた。街中に、「母の日」「母の日」と文字や音楽があふれる。

私には、それが苦痛でならない。

昨年の母の日、母生前最後の母の日、私は電話だけして母の家

に行かなかった。

昨年までは、なんだかんだ、ちょっと寄るぐらいはしていたのに・・

・・なぜ、昨年だけ行かなかったのか、理由がわからない。

というか、理由がない。ただただ悔やまれてならない。

電話をかけたら、母は、好みのブラウスを買ったから、それを私

からの母の日のプレゼントにしていいか?ということを言っていた

と思う。

花は、うれしくないわけではないようだったが、どちらでもいい、

という感じだった。母の買ったブラウス分の代金私が母に払った

だけの母の日だった。

それも、面と向かってではなく、メモでの伝言で・・・

あの日に戻りたい。花はなくても、ちょっと母の家に寄って行き

たい。

でも、時間は決して戻ることはない。

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2008年4月23日 (水)

もうすぐ母の日

さるところにて、母の日には、みんなお母様にどんなプレゼント

をしているのかなぁと重い、アンケートをとってみた。

もちろん、私の母は亡くなった後なので、アンケート結果がどう

むであれ、私は、もう何もできないのだけど・・・・

特に何もしない、という人が意外に多くて、ちょっとおどろいた。

そんなものなのだろうか、母の日。

母を亡くし、義母を亡くし、自分自身は母である身としては、

なんとなく寂しさを感じる部分があるのだが・・・・

 

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2008年2月24日 (日)

母が亡くなったとき

昨年6月10日、母が突然死しているとわかったとき、

私は、もう自分は生きていけない、というぐらい嘆き

悲しみ、自分の殻に閉じ篭ってしまった。

私が母を大切にしなかったからだ、

母を悲しませてばかりだったからだ、

少しも母のことを思いやってあげなかったからだ・・・

毎日、悔やむことばかり次々と頭をよぎり、後悔

と絶望で、ほとんど狂人のようであったと思う。

外見的には無口なだけで、ごく普通に見えたよう

だが。。。

それから半年ちょっとたって、夫が難病であること

がわかり、ついに私は魂がどこかに抜け落ちてし

まったらしい。もはや、狂気にもなれない。

母を亡くした私の苦しみを一番身近で受け止めて

くれていたのは夫である。

夫がいなかったら、私はあのまま狂気の世界から

戻ってきていなかったかもしれない。

そして今、夫の病の重大さを知るにつけ、もちろん

母を失いたくはなかったことは言うまでもないが、

今まさに、失いたくないのは夫なのだということを、

一秒一秒、時計の針が音を刻むように、私の心が

私の心に刻みつけている。

もはや、新たに刻みつけるところがないぐらいに

ズタズタになっても、ずっと刻み続けるのだろう・・・・

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2008年2月11日 (月)

赤いバラのプリザーブドフラワー

「薔薇抱き 明日のことは思わざる」、昨年の12月20日に

このブログで書いた記事である。

この俳句は私の亡母の作品で、母らしい刹那的感がある

と感じていた。これまでは・・・

母の家には、赤い薔薇の造花が随所に飾られており、母

の赤い薔薇への強い思いが感じられるのだった。

先日、「真っ赤なバラの花」という記事を書いた。

そのときには気づかなかったのだが、今日、友達と一緒に

買い物に行って、つい赤いバラのプリザーブドフラワーを

衝動買いしてしまい、その帰り道すがら、ふと気づいた、と

いうか、なぜ今まで疑問に思わなかったのか、と不思議な

気持ちになった。

「母は、なぜ、赤い、黒に近いような真っ赤なバラが好きな

のだろうか?」

夫(当時は夫ではない)が、初めて私にプレゼントしてくれた

ものが大輪の赤いバラだった・・・この日、ふたりで、将来の

ことなど話しをして、ふたりで描いた夢があった。

だから、私は、夫の闘病にあたり、夫にも、私にも、あの日

の赤いバラを思い出すことが一番の力になると信じて、常

に赤いバラを自宅と病室に飾るようにしているのだが・・・・

母は、どんな思いがあって、いつも大輪のベルベットのよう

な黒にも近いほど赤いバラを見つめていたのだろうか?

生花ではなく、あえて造花にしたところにも、何か思いがあ

ったのかもしれない、そんな気もした。

自分が、造花ではないが生花でもないプリザーブドフラワー

の赤いバラを自分の目の前に飾ったとき、母になにかしら

の思いがあったのだという気が猛然とわいてきた。

「薔薇抱き 明日のことは思わざる」

この句には、深い、私の知らない、母の思いが込められて

いるのではないか・・・恐らく間違いない。

でも、もう確かめようはない。母と話すことはできない。

しかし、たぶん、生きていたとしても、母が私にその思いを

語ってくれた可能性はあまりないような気もする。

娘の私から見ても、謎の多い人であったから。

薔薇見つめ 何を思うか 写真の母よ

Photo

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2007年12月20日 (木)

薔薇抱き明日のことは思わざる

母は、俳句をつくるのが好きというより、俳句をつくる自分が好きだった

のではないかと思う。頭を使うことが好きな人だったが、年齢を経るとと

もに、能力を駆使しなければならないようなことが次第に減っていく。

俳句、書道、シャンソン、と習い事をしていたが、頭をつかうという意味に

おいて、俳句を一番重要視していた、生活の基盤においていたふしが見

受けられる。

今ごろになって気づいても仕方がないのだが・・・・

「薔薇抱き  明日のことは思わざる」

これは、間違いなく母の句であろうと考える。

まさしく、母の行き方そのものである。

刹那的というのではないが、でも、明日のことを思い煩う生き方はしてい

なかった。しかし、日々の生活は、質実剛健な中に、一点豪華主義であって、

質素な暮らしの中で、何かの折に、大輪の真っ赤なバラの花束をいけたり

するようなところがあった。

本当に、母と私は親子なのだろうか?と疑問に思ったことは一度や二度では

ない。私は、常に明日を、将来を思い煩って生きている。

しかし、子どもの頃から付き合いがあり、母のことも、私のことも、よく知って

いる友人は、こう言った。

「双子のような母娘だと思ってみていた。似すぎていて、友達にはなれない

母娘にみえた。認めたくないというか、認めていないと思うけれど、本当に

よく似ていたよ。」と。

そして、

「なんにせよ、個性的(一歩間違うとエキセントリック?)で存在感のある

お母さんだったよね~」

と、つぶやいた。

そうだったのか・・・似ていたのか、似すぎていると言われるほど似ていた

のか・・・・ちょっと、いや、かなり新鮮な認識だった。

母と自分が似ていると思ったことは今まで生きてきて一度もなかったの

だから。

私が、「ありがとう」とつぶやいた声が、友人の耳に届いたかどうかは

わからない。

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