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2008年6月29日 (日)

遅まきながら、母の一周忌法要

母の命日は、6月10日であるのだが、諸般の事情で一周忌法要

が命日より遅くなってしまった・・・

できの悪い我が子たちのことを、呆れているんだろうなぁ、母は・・

とにかく、今日、6月29日、弟の自宅から近い、さいたま市内の

お寺で一周忌法要を行った。

立派な本堂で、お坊様のとてもいいお声でお経を上げていただき、

荘厳というか、厳粛な空気がたちこめて、ああ、一周忌なのだ、1年

たったのだ、としみじみ感じていた。

母の望んだとおり、弟の家族と、私の家族だけで行ったので、少人

数でとても静かな、比較的短い時間の法要だった。

お坊様だけでなく、私たちもお経を唱和した。

改めてこみ上げてくる悲しみはなく、いろいろ母のことが思い出さ

れた。

母は、私の中で生きていてくれている、ということを、改めて認識

したのだった。

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母のこと」カテゴリの記事

コメント

私も自分の中で、少しずつ変化しているのを感じる。
最初は驚きのあまり泣くこともできなかった。
今度は思い出して泣いてばかりいた。
そして今は、穏やかに思い出を語れるようになった。
これが受け入れるってことかな、と思いながら。

投稿: ユキ | 2008年6月30日 (月) 09時13分

ユキさん、いつもありがとう。
母の死の直後からしばらくの間、このことを「受け入れる」日が来るとはとても思えませんでした。
思い出すというより、思わない時を探すほうが困難な
ぐらいいたも思っていて、それには痛みも伴っていました。もう、どうにかなりそうな感じでした。
それから、そう、思い出すようになった・・・
思わない時もできたのですね・・・思い出して泣いていた時期はずいぶん長かったけれど、今、一周忌の法要のときに、ふと気づいてみれば、母の思い出をたくさん思い浮かべて話をすることもできた・・・
いつの間にか、受け入れていたということなのかもしれません。

投稿: ととろ | 2008年6月30日 (月) 12時24分

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