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2008年4月18日 (金)

このところの私の感性鈍磨

母の突然死以降、私の感性は研ぎ澄まされて、空気の流れ

で肌がヒリヒリと痛むほどであった。

それは、精紳は信じたくないことが事実であることを脳は認識

していることによる、精紳と脳の認識の乖離によって精神が壊

れかかっていたことの証左でもあったと思う。

その精紳が壊れる寸前の鋭敏さに比べ、このところの感性鈍

磨はいったい何事であろう・・・・鈍い、自分でも呆れるほどであ

る。ただ、実は、もっと鈍い人が家にいる。夫である。

夫婦で呆けている。さらに言えば、息子も鈍化している。

これは、夫が重病であるとわかって以来、一番ピリピリするはず

の夫自身の感性鈍磨に始まり、夫→私→息子と鈍が伝染した

結果なのである。

夫の人間としてのできの大きさを真に感じたのは、今回の病気

判明に始まる一連の彼の言動による。私にはとてもできない。

自らの精神力で、無駄な感性鋭敏化による体力、気力の浪費

を避けているのではないかと思われる。闘病に何年もかかるよう

な病気と向き合ったとき、感性は鈍磨していた方が良い。

身を切り裂くようなつらい気持ち、そういった気持ちからくる体調

不調、そういったものは、病人にとっては病状への悪い影響しか

ないだろうし、家族にとっては、ただ疲れるだけ、単純なことが複

雑になるだけであろう。

というわけで、成功の条件は「運・根・鈍」と言った音楽家がいらし

たが、病気根治の条件も「運・根・鈍」かもしれない・・・と思ったり

する次第なのである。

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