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2007年12月20日 (木)

薔薇抱き明日のことは思わざる

母は、俳句をつくるのが好きというより、俳句をつくる自分が好きだった

のではないかと思う。頭を使うことが好きな人だったが、年齢を経るとと

もに、能力を駆使しなければならないようなことが次第に減っていく。

俳句、書道、シャンソン、と習い事をしていたが、頭をつかうという意味に

おいて、俳句を一番重要視していた、生活の基盤においていたふしが見

受けられる。

今ごろになって気づいても仕方がないのだが・・・・

「薔薇抱き  明日のことは思わざる」

これは、間違いなく母の句であろうと考える。

まさしく、母の行き方そのものである。

刹那的というのではないが、でも、明日のことを思い煩う生き方はしてい

なかった。しかし、日々の生活は、質実剛健な中に、一点豪華主義であって、

質素な暮らしの中で、何かの折に、大輪の真っ赤なバラの花束をいけたり

するようなところがあった。

本当に、母と私は親子なのだろうか?と疑問に思ったことは一度や二度では

ない。私は、常に明日を、将来を思い煩って生きている。

しかし、子どもの頃から付き合いがあり、母のことも、私のことも、よく知って

いる友人は、こう言った。

「双子のような母娘だと思ってみていた。似すぎていて、友達にはなれない

母娘にみえた。認めたくないというか、認めていないと思うけれど、本当に

よく似ていたよ。」と。

そして、

「なんにせよ、個性的(一歩間違うとエキセントリック?)で存在感のある

お母さんだったよね~」

と、つぶやいた。

そうだったのか・・・似ていたのか、似すぎていると言われるほど似ていた

のか・・・・ちょっと、いや、かなり新鮮な認識だった。

母と自分が似ていると思ったことは今まで生きてきて一度もなかったの

だから。

私が、「ありがとう」とつぶやいた声が、友人の耳に届いたかどうかは

わからない。

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