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2007年11月

2007年11月27日 (火)

大丸東京店、順調にTake off?

東京駅八重洲北口を出たところにある歯科医院でインプラント治療を受けて

いるため、通院のたびに新しい大丸東京店の横を通り抜けることになる。

毎回、店内に入る時間も金銭的余裕もないのだが、やはり、たまには、中を

のぞいてみたくなる。

開店当初は、ラッシュアワーの通勤電車並みの混み方と言われていたが、

だいぶ落ち着きつつあり、ほど良い人の入りになってきている。

それで、今日は、お使い物の買い物も必要だったので、11月6日の新店オー

プン日以来初めて、店内にはいってみた。

午前10時、開店と同時だったため、当然お客さんの入りはまだまばらである。

しかし、お昼にかけて、次第に程よい混み加減になっていった。

平日のお昼、これだけの人がはいっていれば、やはり大成功か、と思われた。

初日に混雑に当てられて気がつかなかった点につき、3点ほど・・・・

喫茶店の位置が窓際であり、どの店も明るいこと、特色ある店をたくさん入れ

ており、訪れるたびにどの店でお茶するか、選ぶ楽しみがあること、これは、

かなりヒットだと思う。実際、複数の喫茶店では行列になっていた。

2点め。

リラクゼーション、エステ、コスメ、メイクアップ系の店が激増えしていること。

これは、女性にとっては、年齢を問わず受けがよいはず。これらの店にはい

ると、店内に滞在する時間が長いため、ついでに食事もしていこう、とか、お茶

していこう、とか、という相乗効果が期待できると思われる。

何かを買いに来て、買い物がすんだら帰るというデパートから、買い物、リラク

ゼーション、食事、喫茶、と店内をわたり歩いて時を過ごす場へと、変貌したの

かもしれない・・・

最後にもうひとつ。

オープン初日は、店側もやたら格調高く振る舞い、お客側も装いに凝っている

ように感じられたが、開店から日がたったせいか、そのあたりが良い加減に

こなれてきていると感じた。普段着としか見えない装いの人も自然に散見され

るようになって、もとからの大丸の庶民的な味と、新大丸の格調・粋が、うまい

具合にミックスされつつあるではないか・・・

さすが、我らがひいきの大丸。恐るべし大丸の実力。あらためて、一層のファン

になって帰ってきたのであった。

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2007年11月26日 (月)

休職期間大延長

先日、2週間ぶりに受診したところ、主治医から診断書を渡された。

早期に職場復帰は困難である旨の内容が記載されている。

というか、端的に言ってしまえば、3月末まで会社には出るな、という

内容である。

私は、そんなに重症なのか・・・・初めて真実を知ったような気持ちに

なった。

もちろん、この診断書を受け取るに至る前に、主治医とはずいぶん

いろいろな話をした。早く治さなきゃ、とか、いつになったら治るのか、

とか、早くなんとか強迫観念にとらわれていること自体が病気なのだ、

と、長いスパンでやるべきことをひとつひとつやっていくしかないのだ

から、焦ってはダメだ、ということを、何度も言い聞かされた。

そして、ようやく、主治医の話が理解できるようになったところで、今回

の、療養のため長期間の休暇を要する、という診断書を渡された訳で

ある。

確かに、日によっては、午前中には立ち上がれないこともあるのだから、

会社員として毎日出勤できる訳がない。一日おきの出勤ぐらいならなん

とかなりそうな気がするが、そんなことが許されるわけもなし・・・

在宅勤務できれば良いのに、としみじみと思わざるをえない。しかし、

個人情報保護法上、クリアするのが困難なハードルが多すぎて、在宅

勤務という勤務形態を取り入れにくい業種なのである。諦めるしかない。

ということで・・・自宅療養大延長となる。

これが、結果として、吉と出るか凶と出るか、勝負どころに来ているのか

もしれない。

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2007年11月25日 (日)

母の日記

某大手百貨店から母あてに、「2008 家計簿ダイタリー」なるものが

送られてきた。カード会員あてに、毎年送られているものらしい。

百貨店のカード会社には、母の死について連絡しないままに日が過ぎ

てしまっており、未だに、カタログやご案内を送ってきている。

母は、家計簿はつけていなかったようで、この家計簿ダイアリーを純然

たるダイアリーとして、ここ数年間、毎日日記をつけていた(ことを母の

死後に知った)。

もちろん、体裁は家計簿そのものなので、毎日それほどたくさんのことを

書く欄があるわけではない。本当に、ひとこと、その日にあったこと、思っ

たことを書いてあるだけである。

突然死の1年前ぐらいから、ところどころに「ドクドクする」「胸がザワつく」

といった表記が散見されている。心臓病の専門医にかかって薬も飲んで

いたが、急性心不全による突然死にいたる兆候は、ずいぶん前から本人

の自覚症状としてあったのだということを、母の死後、日記を発見して読み、

私は初めて知った。

特に、私が階段から転落して顔にケガをして入院したときや、私が心身の

調子を崩して回復の見通しがたっていない時など、私のことを心配する

言葉とともに、自分の胸部の苦しさや「ドキドキした」「ザワザワした」といった

表記がセットになっているように感じられた。

昨年来、私は、本当に公私ともども不運に見舞われ続け、私自身が心身とも

に崩壊寸前の状態にあった。私の苦しみは、ほとんどそのまま母に投影され

ていたように思う。

母とふたりで会話をしている時、「あまりにもかわいそうすぎる・・・・」「その

仕打ちはひどすぎる」「なぜ、そんな言われ方をしなければならないの」と、

母が私自身になり代わったように、突然涙声になったこともあった。

その当時、私は、心身ともに打ちのめされていたため、母が口にしたような

怒りや悲しみ、悔しさという感情が沸いてくることすらない状態であった。

たぶん、母は、私の状態をみて、本来私が背負うべきそれらの負の感情を

代わりに背負ってくれたのだと思う。

母のすでに弱り始めていた心臓に、本来私が追うべき苦しみが次々圧し掛

かり、ついにその負荷に耐え切れなくなった時に、心臓が自然に動きを止め

ように感じられてならない。

父が早世してから約30年、母は、一見するとあまり「お母さん」らしくなく振る

舞いながら、その実、自身の力のすべてをかけて、子どもたちのために生き

きった人だったと思う。

最後の最後の一瞬まで、私を支え続けてくれた母だった。

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苦しみの「自己申告」

私の勤務する(現在は休職している)会社には、「自己申告」という制度がある。

なんのことはない、年に一回、今後のビジョンと異動希望を提出するだけで

あるのだが。

今年も、自己申告の提出時期がきた。

私のような、病気療養中で、先の見通しがたたない社員でも、全員提出必須

とのことである。

今後身につけたい能力、今後の展望、異動したい部署の有無、異動先の職務

で身につけたい能力、発揮できる能力・・・・・埋めなければならない必須項目

のほとんどを埋めることができない、頭が回らない。

提出期限の日には、用紙はまだほとんど真っ白!どうすればいいんだ~!

上司からも、どうなっているか確認のメールがはいる。なんと答えればいい

のだろうか・・・・確認メールの返信内容を考えていると、自己申告の方が

ちっとも進まなくなる。

ありのまま書くとすれば、

今後身につけたい能力「しかるべき時間に起床して、就寝する能力」

今後の展望「いつになるか時期は未定なるも、定時出社して定時に退社できる

        ように心がけたい」

ということになるが、まさか、この内容で提出して良いような気がしない・・・・

真面目に書け!と怒られるような気がする。どうすればいいんだ~!

本当に脳みそを絞り出すようにして、全部の項目を埋め込んだ。

一言で言ってしまえば「今の仕事を続けながら治療するのは無理」という

主治医の見解に、いろいろストーリーをつけて、職務内容の肉付けをして、

なんとか輪郭らしきものをつくったというか・・・

それにしても、上司に提出するには、なんと気が咎める内容であろう。

これをいきなり上司に送るのかと思うと、そのことだけでも胃がキリキリ痛み

だす・・・・

しかたないので、なぜそのような自己申告内容となったのかについて、経緯

と気持ちを文章にまとめて、上司あての提出文書を自己申告書に添えること

にした。なんと損な性分なのだろう・・・自分でもバカみたいだと思う。

自己申告制度は重要なものであるし、休んでいる社員にもちゃんと希望を

言わせてくれるのはありがたいことだ。感謝するべきだ。実際、感謝している。

しかし、自己申告を作成している間、間違いなく病気療養は大幅後退したこと

は間違いない。一度は、そこそこの時間に眠れそうになりかかっていたのが、

自己申告作成中から、また不眠が始まって、当然の結果として、日中の活動

状態が下がってしまったのだから・・・

ほとんど一から、治療のやり直しとなったわけである。

このことから得た教訓は、私は「無駄に」「バカ」「正直」だということだけである。

深い自己嫌悪と自信喪失の淵から、当分浮かび上がってこれそうもない。

疲れた・・・・

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睡眠障害治療開始

睡眠障害、正確には、概日リズム睡眠障害の治療が始まった。

といっても、睡眠に関わる自分の状態を毎日記録することと、

メラトニン1mg錠を、午後9時と10時に、1錠の半分ずつ飲む

ことだけ。

そして、睡眠障害専門のカウンセラーのカウンセリングを

受けた後、専門医の診察を受けること、これを2週間から1ヶ月

に1回、当面、この治療を続けてみることとなった。

今のところ、メラトニンを飲むと、かすかに眠いような感じはする。

あくびが出るという経験も、ずいぶん久しぶりだという気がする。

なにかしらの効果はあるのだろうが・・・・ばしっ、と決まるような

効き方をするわけではないらしい・・・

いったい、これから私はどうなるのだろうか。社会復帰への道

は、果てしなく遠い。

とにかく、しばらく治療を受けてみるしかないのだが・・・・・・

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道行く人々

母が突然死して以来、道行く人々の後姿が、やたら気になるようになった。

正確に言えば、母と同世代ぐらいの女性の後ろ姿、ということになるが。

歩き方が、着ているものが、背負っているバッグが、被っている帽子が、

何か、どこか、母と似ているように感じられ、はっと胸を突かれるような

思いをすることがしばしばある。もちろん、一瞬の後には、そんなはずは

ないことに気づくのだが。

そんなはずって・・・母が道行く人々の一人に混じっているなんてはず・・・

あるわけはない。頭ではよくわかっている。気持ちがついて来ないだけだ。

一瞬、母に似ているように感じた後ろ姿を見送りながら、なぜ、あの後姿

が母ではないのだろうか? なぜ、母であってはならない理由があるの

だろうか? なぜ、もう母には会えないのだろうか?

急にわからなくなった。

夕暮れ時、母の家へと続く道の途中で、立ちすくんだままの私を、帰宅を

急ぐ子どもたちが追い越して行った。

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2007年11月24日 (土)

インプラント抜糸

インプラント治療・・・外科的侵襲がありながらも、ほとんど痛みはない・・・・

みたいなイメージを持っていた。実際、そういう人もたくさんいると聞く。

たまたま、私はそうではなかった・・・・痛みが引いたのは、手術からちょうど

2週間後だった。その間に、2回、「本当に大丈夫なんでしょうか?」と受診

している。2回とも、丁寧に診察してもらい、痛み止め薬をもらって帰って

来た。それに関する治療費はなし。トータルの(骨形成手術込みのインプラ

ント)治療費として支払う金額(恐らく60万円弱にはなると思われる)の中に、

込み込みで入っているのだという。ある意味、明朗会計である。

抜糸も終わり、痛みも引いていき、あとは2段階目の支柱の装着、最終段階

の歯冠の装着へと、進む日を待つばかり・・・・なんとなく見通しがたってきた

ような気がする。

20歳の時に、バイク事故で前歯を折って差し歯を入れて以来、ずっと前歯

が弱点だった。

28歳のとき、突然差し歯が取れて、新しい差し歯を入れなおしている。

そして昨年、階段から転落して差し歯の根元の歯根部分を粉砕した。

ついに差し歯も不可能となって、インプラント治療を選択したが、なんとなく、

これで、前歯が弱点という意識から脱出できるという明るい予感がする。

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2007年11月11日 (日)

インプラント治療つづき

実は、おととい、先日予約してきたインプラント専門歯科医院にて、

インプラントの手術を受けてきた。思い立つまでは時間がかかるが、

思い立ってからはやたら動きが早いのが私の長所かつ短所である。

上の前歯と、一番審美的に難しいヶ所なので、上顎骨にチタンのねじを

埋め込むだけでは仕上がりが美しくならないということで、骨形成術も

行わなければならなかった。

しばらく経過を見て、落ち着いてから歯冠を被せる手術をもう一度受ける

必要がある。したがって、まだ仮歯のままなのだが、昨日すでに仮歯が取

れてしまい、旅行に行くのにどうしよー、と大騒ぎしてしまった。

夫のかかりつけの歯医者さんで仮歯を取り付けてもらってとりあえず安心。

手術箇所のあたりは縫合糸がからまるようになっている。抜歯は2週間後。

ひとつ、告白しなければならないことが・・・・

歯肉を切り開いて、骨に穴を開けて、ねじを打ち込んで、歯肉を縫い合わ

せる・・・これだけのことがあると、まして上の前歯に、顔に何の影響もない

はずはない。鼻から上唇にかけて、腫れているというよりは、犬の顔のよ

うに前に突き出している状態。

息子に、「お母さん、犬みたいな顔に見えない?」と尋ねると、

息子は用心深い顔で「いや、見えないよ」と答える。

「何犬に似ているかな?チワワ?柴犬?ビーグル?まさか、ブルドッグ

じゃないでしょうねっ!!」

「えっと、あ・・あ・・秋田犬に似てるかな?」

「なに~!秋田犬?ってことは、やっぱり犬みたいな顔に見えるってこと

じゃないの」

「いやっ、そうじゃなくて、えっと、だから、犬の種類を言うしかもう選択肢

がないのかと思って・・・・」

息子をからかって遊ぶと面白い。

しかし、腫れている、いや、突き出ているだけあって、かなり痛いのだった。

今後も、治療の経過を報告します。

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退職した友人宅訪問

私が現在休職中の会社を、一昨年退職している友人宅に招かれた。

同期入社の総合職女子が10人、そのうちの一人である。

ちなみに、10人のうち、現在会社に残っているのは3人で、私以外の

2人は会社が神と崇める「東大卒」である。

地方大学出身者で残ったのは私ぐらいのもの・・・・

退職した7人のその後は、精神科医、シャーマニズム研究者で大学の

先生、麻薬取締り官、地方自治体公務員、建設会社経営者、教育ママ、

ぷーたろー、と、実に多彩である。

現在休職中の私も、この7人に次ぐ予備軍なのかもしれないが・・・・・

招待してくれたのは、在職時から一番親しかった、現在ぷーたろー。

独身で、趣味が野球観戦のみ、お金を使うところがない、常日頃から

口にしていたが、今回は、お金を使うところを、しかも、どばっと一挙に

使うところを見つけて、普通は現金では買わないようなものを現金で

買った。そして、私を招待してくれた訳である。その買い物の中に・・・・

もうお分かりでしょう、マンションを買ったのです。中古ではあるが、

23区内、地下鉄の駅から歩1分の3LDK。さすが、気風のいい買い物。

しかし・・・無職だよね・・・いいのか、お金使っちゃって、と突っ込みを

入れたい気もしたが、いい大人がやっていることだし、なんたって経理

や有価証券畑の仕事をやっていた人なんだし、お金にうといとは思え

ない。余計なことを言うのはやめて、マンションの中を隅々まで見せて

もらった。うちと同じ広さで、居住者1人か・・・・広々しているはずや・・・・

さらに、彼女の故郷の温泉にも招待してもらったので、湯治と考えて

ご好意に甘えることにした。

明日から、北に向かって旅にでます。

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新しい現代仏壇、我が家に到着

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←扉を閉じたところ

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                                            扉を開けたところ→

待ちにまった、我が家用の仏壇が届いた。

俗に現代仏壇と言われるもので、扉を閉じ

ると普通の戸棚のように見えてしまう。

全然、自分が仏壇であると主張していない、むしろ仏壇という認識もない

のかもしれない。

私の家の、いつも母が泊まっていた部屋に設置した。

母の遺影、父の写真(新婚旅行の写真らしい)、祖母(母の母)の遺影、

私、母、夫、息子、4人で息子の初節句にとった家族写真を飾り、

それから、この日のために注文しておいた、赤、ピンク、ボルドーの

バラとあじさいのプリザーブドフラワーのアレンジメントで彩りをつける。

南部鉄のろうそく立てに彼岸花が手描きされた和ろうそくを立てて設置

は完成した。

母も、祖母も、満足そうに見える。父は、写真が古すぎて、なにせ50年

前の白黒写真のこと、画像が鮮明でなく、表情がいまひとつ読み取れ

ない。

位牌もなく、お線香立てもない。鈴もなし。

従って、お線香をあげて、リ~ンと鳴らし、というお参りはあえてしない。

毎日の生活の中で、自然の流れの中で、母を供養しながら、母を感じ

ながら生活する。私の命が続く限り。

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癒し系ジュエリーショップ

Dvc00091_m「DICHA」という言葉を耳にされたことが

あるだろうか・・・・

私は、この「DICHA」というお店の名前

を聞いて、初めて知った。

スペイン語だとのこと。

最上級の幸せ、喜び、神様がくれた、

この上ない、本当にすばらしい幸せ、喜び

を表すときのみに使う言葉。

スペインでもほとんど使われていないという言葉・・・・

飯田橋駅ビル ラムラ内に、そのお店はある。

「DICHA」という名のジュエリーショップ。

ジュエリーショップにありがちな、敷居の高さがまったくない。

ラムラの中を自然体で歩いていると、いつのまにかお店の中を通って

しまっている。

商品は、ホンとに気楽に買えるお値段のものから、高級品まで様々。

ある時期から、私にとって、この店に寄ることが、癒し、兼、目の保養

(やはり宝石は見るだけで目の保養・・・)となった。

店長(ただ一人の男性)と、スタッフがみな若くて元気、明るい、くったく

がない。ジュエリーショップにありがちな、高級感とか、しっとり感とか、

ちょっとえらそうな感じがないので、そういうのが好きな方には向いて

いないかもしれない・・・

もっと、いろいろ勧めなくていいの?売らなくてもいいの?とお客の私

が逆に心配してしまうぐらい、恬淡として、販売の現場っぽくない。

こちらが気に入ったものを見つけたときは、説明を聞くが・・・・

私なんか、毎回、ジュエリーの話より、仕事のグチ、息子の自慢、世間

話等、関係のないことばかりおしゃべりしている。その間に、身につけて

いる指輪等のクリーニングをしておいてくれる。                 

下の写真右が、いつもいつも私のグチを聞いてくれるスタッフの方。 

いつも本当にありがとう。ジュエリーショップなのに、疲れた心の癒しどこ

ろ、ちょっと不思議なお店です。  

追伸

もちろん、たまには、買っています。グチを聞いてもらっているばかり

ではありません・・・・                

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2007年11月10日 (土)

初体験・・・税務相談のはずが

本当は、税理士さんとの税務相談初体験になるはずだった。でも、ならなかった。

理由は、私が、朝、起きられなかったから、という、天にも地にも恥ずかしい理由

である。本当に、情けない・・・・

これが「概日リズム睡眠障害」「睡眠相後退症候群」の症状そのものです。

前日の夜、早めに寝ようとしたが、寝付けないまま明け方に、そして、すこし眠り、

7時半に一度起き、8時半にも起き、それなのに、何度起きようとしても、そして

一度は起き上がって動き始めても、ふたたび朦朧たる世界へと逆戻り。

そして、お約束の時間がすぎても起きられず・・・・人間失格。

睡眠クリニックにて、治療がはじまるのは来週からである。早く治療開始して、

人間失格を脱して、合格最低ラインに戻らねば。

仕事をするしないに関わらず、今のままでは、人として何もできない。

社会的信用を失い続けるばかりである。

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大ショック!お気に入りアロマサロン ベアフィート閉店

私の駆け込み寺、アロマサロンのベアフィート。私より年下だけど、お姉さん

みたいに、いつも優しく私の相手をしてくれるオーナーのmayuさんが、結婚

されることになり、都内に引っ越されることになった。当然、千葉市内のアロマ

サロンは閉店されるという・・・・ショック!!

おめでたいことであるし、本当に心の底からお祝いの言葉を伝えたのだけど、

それはまったく嘘ではないのだけど・・・この気持ち、心細い、寄る辺のない子

羊のような・・・なんと表現すればよいのか・・・・

アロマオイルの効能以上に、mayuさんの人柄、疲れている人を癒したい、

微笑ませたいという気持ち、に励まされ、慰められ、癒されてきたのだというこ

とに、改めて気づいた。だから、こんなにショックなのだ・・・・なかなか代替は

きかないに違いない。

ご結婚後、都内に移って、新しくアロマサロンを始める予定とのことを聞き、

少し安心。山手線内なので、通うのはそれほど大変ではないかも・・・・

会社への通勤と同じ程度か・・・1ヶ月に1回ぐらいは行けるだろうか・・・・

いずれにしても、アロマサロン再出発は、できるだけ早めにお願いします・・・

千葉のベアフィートファンが寂しさに堪えていられる間に、ぜひ。

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美容院に飛び込み、髪を切る

先週、行きつけの美容院の前を通りかかったところ、珍しくあまり混んで

いない様子。いつもは前日以前から予約しておくのだが、今ならいきなり

飛び込んで頼み込んでも大丈夫そうかな?ということで、いきなり、

「飛び込みでごめんなさい、カットだけお願い!!」と頼みこんでしまった。

オーナーは、浜崎あゆみ似の超美人で、双子の男の子の赤ちゃんのママ、

育児があるから、本当は早めに帰りたかったはずなのだが、快くO Kして

くれて、「カットだけと言わず、ご希望があったらカラー矯正もやっちゃいま

しょう・・・」と言ってくれる。さすが、美人の母は強し、気風がいい。

結局、カラーも頼んでしまった。ごめんなさい。

以前に、髪をオレンジに染めたことを書いたのだが、オーナーは、オレンジが

お気に召さない模様。いったいなんで、オレンジに染めなきゃ、なんてことに

なったんですかね?みたいなことを言って、品のいいチョコレートブラウンに

染めましょうよ、その方が似合う、と私を説得にかかる。そして、この先、髪を

伸ばしていくために形を整える必要があるから、といって、今日のところは、

一旦短めにカットするという。半分しか理解できていない私。

しかし、相手はカットの天才だ。二、三手先を読んでいるらしい。凡人たる私

は、天才にお任せすることにしてしまった。

という訳で、オレンジの髪の女ではなくなり、かつ、ストレートのボブでもなくなり、

なんというんでしょうか、このスタイル・・・・

かなり落ち着いた感じにはなりました。メタルフレーム、もしくは、フレームなし

のめがねが似合います。

守護色オレンジとお別れすることになり、少し寂しい、心もとない。

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2007年11月 9日 (金)

大丸東京新店オープン

大丸東京店、東京駅直結で実に便利な位置にあり、かつ、少しやぼったい

というか、垢抜けないというか、素朴な味があって、私が一番大好きだった

デパート。しかも、関西発祥だからか、私にとって思春期と20歳代を過ごした

懐かしい関西の空気が流れていた。もとの大丸東京店には・・・・だが。

そして、この11月6日、大丸東京新店がグラントウキョウノースタワーに移転

してオープンした。豪華、おしゃれ、洗練、粋・・・・なんだか、私の愛した大丸

東京店の素朴さは、雲散霧消しておりました。あいかわらず位置的には便利

であるし、おしゃれ、粋、洗練されて悪いことは何もない・・・はず・・・なのだが、

この寂しさはなんなのであろう。

一緒に故郷から東京に出てきた同級生が、突然おしゃれに洗練され、大人の

女性に変貌してしまったような・・・自分だけがやぼっいままのような・・・・

ひとつ気づいたことは、従来どおり敷居が低いフロアーと、やけに敷居が高く

なったフロアーがあるということ。これも商業戦略か?

普段着で、さして装わずにでも行ける感のあった旧大丸東京店の雰囲気も、

ところどころに残ってはいるようである。いかにして、その点在している旧の

雰囲気のポイントだけを通って買い物するかが、次回の課題である。

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2007年11月 7日 (水)

誰もいない・・・母の家

最寄り駅近くのショッピングセンターに買い物に行った帰り、なぜだか突然、

「今日は、ちょっと時間に余裕ができたから、お母さんの家に寄って行こう」

と唐突に思い浮かんだ。

そして、その数秒後、今、「お母さんの家に寄って行こう」と思った自分は、

母が生きている頃の習慣そのままに、母の家で母とお茶しながら話をする

ために寄ろう、としていたことに気づいた。

母の突然死から、もうかれこれ5ヵ月経とうとしている。それなのに、まだ、

母の生きている世界と、母が死んでいる現実世界の境界線上を行ったり来

たりしてしまうことがある。いつまで続くのだろうか・・・・

非現実世界にいる一瞬は、ごく普通の感覚でいて、現実世界に戻った瞬間

に、重苦しい、取り返しのつかないことをしたような絶望感が襲ってくる。

この瞬間の重みと、逃げ出せない暗闇のような感覚が、軽快に自転車をこ

いでいた私の足を突然止めてしまった。後ろから来ていた自転車の男性が、

何か怒りの言葉を発しながら私をよけて走り去っていく。

母の家には、母がいるはず。電話しても出ないのは出かけているから。

32年前、父が亡くなった後しばらくの間、母が「お父さんは帰ってこられない

ほど忙しいの、遠くに行って仕事しているような気がしているの。」と何度か

言っていたことを思い出す。

そして今になってやっと、当時の母の言葉の意味を、母の気持ちを理解する。

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2007年11月 5日 (月)

池田晶子さんの書、3冊到着

アマゾンに注文した池田晶子さんの書物が届いた。

「暮らしの哲学」「人間自身  考えることに終わりなく」「メタフィジカルパンチ

形而上より愛をこめて」の3冊、さて、どれから取り掛かるべきか・・・・・

明日からの日々が楽しみになる。

仕事を休んで、明らかに変わったこと。それは、まじめな読書の読書量である。

これが実るか実らないか、そんなことに関わらず、私は明らかに活字に渇いて

いた、落ち着いて書物と向き合うことすらできない疲弊しきった自分に愛想が

つきていた。

なぜ、仕事をするということが、人格崩壊寸前になることとニアイコールなのだ

ろうか・・・「仕事をする」をもっと正確に言わなくてはならない、「大企業で正社員

として勤務する」という趣旨である。最低ランクの肩書きがついた、実質全国転勤

型平社員の私は、人生そのものを、家族への思いを、自分の人格を、すべて

会社に捧げなければ、「まともに」勤務しているとはみなされなかった。

明日から、しばらく、池田晶子的世界にはいってみよう。

そして、池田晶子的思考で自分自身と自分の人生に取り組んでみよう。

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2007年11月 4日 (日)

今日はどんな日

今日はどんな一日だっただろうか?夜遅くなると考える。

会社に行っていた時は、どんなもこんなもあんなも、何もなかった。

ただ身体は疲れ果てて、精神はとがって擦り切れ寸前で。

仕事が単なる段取りになってしまったのはいつ頃からだっただろうか?

思い入れも、心浮き立つような夢も、すべてなくして、ただ段取りを考えて

こなすようになってしまったのは、なぜだったのだろうか?

今、一日一日、その日は、どんな一日だったか考えることができる。

本当は、仕事もしながら、そうできることが幸せなんだろうと思うが・・・・

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阿部典史さんの死・・・つづき

先月、交通事故のため32歳で亡くなった、世界的二輪レーサー ノリックこと

阿部典史さんの急逝を惜しみ、嘆く声が、今尚続き、むしろ高まっている。

私は、自分、夫、弟、叔父、とバイク好き一族なので、レース観戦する機会が

多かった。

ノリックは、初めて見たとき、たぶん彼が17歳の頃から、脳裏に焼きついて

消えないような走りをするレーサーだった。

ノリックのオフィシャルサイトに以下のようなアナウンスが掲載されていた。

お通夜、告別式に行けなかった、という声が多く寄せられているようだ。

********************************************************************

下記日程で、故阿部典史の「ノリック メモリアルミーティング(仮称)」が行われます。
※当初のお知らせよりも開催時期が遅れますことをお詫びいたします。

 日 時

 12月9日(日)10:00~16:00(開場9:00~・時間帯は変更の可

 能性があります)

 場 所  東京お台場屋外特設会場
 住 所  東京都江東区青海1丁目・青海Q街区
 イベント内容

 ゆかりの品・レース車両・写真等展示/記念映像上映/献

 花台ほか(予定)

 入 場   無料
 主 催  オフィスノリック
 後 援  ヤマハ発動機(株)/ヤマハ発動機販売(株)
 (株)ワイズギア/(株)プレストコーポレーション

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私も行こうと思っている。

先日、深夜、丑三つ時に追悼番組が放映された。もっと昼間に放映してくれても

いいと思ったが、モータースポーツはメジャーではないということなのだろうか・・・

私が初めてテレビでノリックの走りを目にした、1994年のGPの映像が流れた。

「もっと前に!、もっと前に!」と魂が叫んでいるのに応えて走っているような走り

だと思った。彼には、彼だけに見えている前への一筋の道がクリアに見えている

のではないか・・・・天才なのかもしれない、と感じた。

たぶん、一生、忘れられない人の一人だと思う。

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2007年11月 3日 (土)

CHORUSPICE応援勝手連

下のURLをあけていただくと、私のお気に入り、男性3人のヴォーカルグループ

CHORUPICEが、「フレッツ光」のアーティスト投稿コンテストにノミネートしてい

まして、現在、1位、2位を競っている状態。

http://liveon-flets.com/stadium/index.html

彼らのオリジナル楽曲「陽のあたる場所」その他を投稿致しているので、ぜひ聞

いてみてください。そして、いいなと感じていただいたら、投票してくださいね。

どうぞお力添えのほど宜しくお願い致します。

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夫と2人で過ごした金曜日

今日は、もしかしたら、息子が生まれてから初めて、終日、夫と2人だけで

過ごした平日だったのかもしれない。

夫が、過密労働に疲れて、突然平日に一日休みをとったためである。

2人とも体調万全ではないから、午前中は、ふたりして意識朦朧としていた。

とはいえ、もちろん、5時半に起きて息子のお弁当を作って、6時に息子を

送り出してやらなければならない、が、それをやってくれたのは夫であった。

夫は、文句ひとつ言わない。すでに諦観の域に達している模様。

諦観が常態と化しているのだ。

・・・・私は、母として、主婦として、完全に失格である。

ぼんやりしているうちに昼になってしまったので、おいしいとネット上で評判

の高かったおそば屋さんに行ってみた。家の近くではあるが、街はずれで

さびれたところにある。

建物は、昭和初期のものかもしれない、木造平屋建て・・・・

が、しかし、食べ物屋さんの実力は、お店の構えとは必ずしも相関関係が

ない、という、当たり前のことを思い知るまでに、さほど時間はかからなか

った。韃靼そばは、実においしかったのである。かつ、安価でもある。

恐るべし・・・このロケーションでつぶれないだけの底力を見せてもらった。

祖母の家、父の田舎の実家、の大広間を思い出す部屋の造り。

お客の年齢層によっては、韃靼そば以外のものも味わえるかもしれない。

郷愁とか、懐古の情とか・・・・昭和の雰囲気を。。。

夫は、まさに、そばの味とともに、それらを味わうのが楽しみで、この店に

通っているようだった。

また、来よう。今度は、息子も連れて。

追伸

お店について、ご参考まで・・・・お座敷そば処 ふじ竹  

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アメリカよりメラトニン到着

本日、海外より郵便物が届く。なんだったっけ・・・とっさに、思い当たらなかった

私に代わって、夫が、「メラトニンか・・」とつぶやく。

私の睡眠障害(概日リズム睡眠障害 睡眠相後退症候群)の治療に使用する

サプリメントである。これを飲むと、脳だか、身体だか、自分は眠いのだ、

と勘違いしてくれるので、眠れるようになるとのこと。

睡眠薬も導眠薬もほとんど効かない私に、果たしてメラトニンは、そんなに劇的

に効くのだろうか?

不安はありつつも、やってみるしかないのだから、次回、睡眠障害専門病院に

通院する際、メラトニンも持参して、その日から治療開始となる。

まだ10日以上も先のこと。

いったいどうなるのか・・・私は社会復帰できるのか・・・・不安と期待が募る。

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2007年11月 2日 (金)

昨日、主治医との会話

今日は、私に、休職が必要と、指示した主治医の診療日だった。

まず、私からざっと体調、症状の話しをした。

主治医「あまり改善ないですね。結局、休むだけじゃなくて、原因を取り除か

     ないことには、どうにも改善しない、ということですね。

     といって、では、原因は何?、ちゅうことなんですけど、僕も、あなた

     自身もよくわかっていない・・」

私「原因はひとつじゃないと思うんですが、私なりの考えをお話してもいいで

  しょうか?」

医師「どうぞ、いくらでも聞きますよ。」

そこで、私は、自分が会社員生活22年の今になって、突如煮詰まってしまった

原因と思われるエピソードを延々と話し始めたのだった。

自分で言うのもなんだが、私は、恐らく、平均的よりは正義感が強い。

日常業務の実態、各種の報告事項に関する経営判断が、微妙に私の神経に

障る。

本当にそれで良いのか?!と、私のコンプライアンスアンテナがビリビリする

毎日が続いていた。もう一本のアンテナ、苦情予知アンテナも、このところフル

稼働していた。長年、苦情を受け続けていると、苦情が来る前に、なまずの

地震予知じゃないが、苦情予知アンテナが反応するようになってしまう。

苦情の中には、反論の余地の無いものも少なからずあり、「ごもっともです、

私もそう思います。」と言えたらいいのにと思うが、「私もそう思います。」とは

立場上言えない。途方に暮れて泣きたくなるときがしばしばある。

そしてまた、会社は、さらに、新たな時限爆弾を製造し始めている・・・・

何年か後、「ごもっともです。私もお客様の立場でしたら、同じことを思うかも

しれません。」と言いたくなるのを堪える日々がまた来る、そして、もしかしたら

これはずっと続くのではないかと思われる。

未来が見えない。先の見通しがたたない。

真剣にお客様本位になればなるほど、ストレスがたまり続ける。

そんな限界ギリギリのところに母の突然死があり、張り詰めていた精神力の

糸が切れたのかな・・・と自分では思っている。

主治医は、二回ほど、目元に手を当てながら、黙って聞いていてくれた。

もしかしたら、一瞬涙ぐんでいたような気もしたが、気のせいかもしれない。

主治医「資本主義は矛盾だらけですよね・・・・」

私「先生は、共産主義者ですか?」

主治医「なんで、そうなる・・・・・」

私「いえ、ちょっと、ポケてみただけです。すみません。企業活動は矛盾との

  妥協の産物だと思います。その中で、それに耐えられない者は去るしか

  ない・・・」

主治医「耐えられないような人こそ、持ちこたえて去らないで欲しいですよ。」

私「なんで?」

主治医「そういう人が、最後の砦になるんです。」

私「・・・・(私は最後の砦かいな・・・、しんどそうやなぁ・・・)」

主治医「もうちょっと、自宅療養していてください。とにかく、あなたは、疲れすぎて

     いる。苦情の嵐にあって、パンチドランカーになっているのかもしれない。」

私「先生、パンチドランカーって、治るんですか?」

主治医「・・・・・・・とにかく、もうちょっと休んでいて。十分な休養をとって、内容を

     詰めるのはそれからにします。とにかく、最低1ヶ月は休むこと。たぶん、

     それ以上になると思うけど・・・・はい、では、次回診察は2週間後。」

主治医と、病気の話をしに行ったはずが、ほとんど会社と仕事の話になってしま

った。私の病原は、会社と仕事にある、と主治医も私も考えが一致していること

はなんとなくわかった。先生がわかってくれているようなので、ちょっとホッとした。

母の死は、トドメの一撃になったことは確かだが、それがそもそもの原因ではない、

と私は思っている。主治医も思っている。

しかし、さすが、私が「天才中年」とあだ名をつけている主治医(東大医学部卒)の

こと、どの切り口からでも、いい味の相槌をうってくれる。

医者と患者じゃなくて、違う出会い方をして、いい話し相手になれたらよかったの

にな・・・・と、思った次第でした。

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2007年11月 1日 (木)

これで100番目の記事

これでちょうど、100番目になります。

7月8日に最初の記事、母との突然の別れについて、を書いて、はやくも4ヶ月

近くが過ぎ去ったのか・・・・

この間、何を書いたのかなぁ、99の内容がとりとめもなく頭の中をめぐる。

母を亡くしたことで私の内側に生じた空洞は、そのままの大きさ残っている。

もしかしたら、これはこれで、今後ずっとあり続けるものなのではないかという

気がする。ひりひりするような痛みは、少しは和らいだだろうか・・・・

書き続けることで、何かが変わったのか?

日々、自分を、家族を、まわりで起きるできごとを、よく知ろうとするようになった

ことだろうか・・・・書く前に、まず知らなければならない、のは当たり前か。。。。。

息子は、立ち直りつつあるように見える。ただ、成長期でもあるからか、屈託の

ない少年の面差しは消えてしまった。いつもやや憂い顔である。

私と息子の関係は、母がいた当時と今では、やはり違ってきている。いろいろな

意味で、少し近い存在になった。相手のことを直接相手から情報入手するよう

になった、というか。もう、仲介者はいないから。

夫は、明らかに優しくなった。これは、今なお、打ちひしがれている私を、かわい

そうに思って、きついことが言えなくなったようだ。ありがたいこと・・・・

私の家族は、天にも地にも、この2人だけとなったのだ。

3人で、そしていずれは2人で、生きていくことになる。

母を交えて暮らすはずだった未来はもう来ない、この事実を受け入れることだけ

は、かろうじて、なんとか、いつかは、できそうな気がする。

いつかはできそうな気がするようになった、というところまで、4ヶ月かけてやっと

たどり着いたわけだ。

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