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2007年10月 6日 (土)

亡き友のお母様との邂逅

私の友人は、そんなに多い方ではないと思う。友人の定義にもよるのだろうが。

とりあえず、この場では、単に付き合いがあるだけでなく、お互いに「人として

惚れ込む部分のある人」という思いがあること、という条件において、友人は

そんなにたくさんいない、としておく。

その数人の友人のうち2人が、ここ3年間で亡くなった。

私は、とても出会いに恵まれている。極めて非凡な、考えようによっては少々

変わった人たちとの出会いがあり、そして親しくなった。

その大切な人たちのうち、たて続いて2人が亡くなった。

がんと自死。2人とも壮絶な最期だった。30代、40代である。まだ若い。

どちらのときも、目の前が暗くなり、胸がつまり、私自身が倒れそうになった。

神様は、私に、すばらしい人々との出会いと、絶望的な別れの両方を与えら

れた。それ以来、私は、本当に心から快活な気持ちになれなくなった気がする。

そして母の死は真打の登場であり、私の人生から、寂しさを忘れている瞬間

というものは無くなった気がする。

今日、本当に偶然に、がんで亡くなった友人のお母様に街でばったりと会った。

たぶん80歳にお近くなられているはずだが、いったいいくつなのかまったく不詳。

腰の曲がりを除けば60代でとおりかねない風貌、友人の死に際してお会いした

当時より、間違いなく若返っておられる。恐ろしいほどである。

「あの子(友人が遺した一人息子)がひとり立ちできるまで、倒れることもできま

せん。」

友人はもともと、お母様、彼女、息子さん(私の息子と同じ年齢)の3人家族なの

で、要は、祖母と孫の2人家庭となってしまったため、お母様は、自分は病気

をすることすら許されない、と気を張って生きておられるのだ。

何の手助けもできない私は、近況をお聞きした上で、私の母の死をお伝えし、

納骨等一段落したらお伺いする旨お話して別れるしかなかった。

無力である。母の死に打ちのめされている自分が情けなくもあった。

そして、娘の死に打ちのめされていないはずのないお母様が、それを脇に置い

ておいて、孫を成人させることに命を張っておられる、そのお母様の命の輝き

のようなものが、夕暮れどきの薄闇の中、私の脳裏に確かに映った。

腰の曲がった後姿に、深く一礼してから家路についた。

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