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2007年10月

2007年10月31日 (水)

池田晶子さんの書

昨日、初めて池田晶子さんの書物を手に取った。

これまで、お名前は聞き覚えがあるものの、「哲学」という言葉に弱い私は、

「哲学」関係の文筆家と聞いただけで、後ずさりしていたので。

昨日、近所のショッピングセンター内の本屋で「残酷人生論」という題名が

目に飛び込んできてとっさに手に取り、それが池田晶子さんの書だったわけ

で、後ずさりする間がなかったのだった。

適当に開いたページは「死はどこにあるのか」「魂は存在し続ける」と、たまた

ま、私の胸中にクリーンヒットする見出しであったために、これはとりあえず

座って落ち着いて読んでみたい、しかし、ここは三省堂ではなし、と、買うしか

ないか、という気持ちになった。

レジに向かいながら、「ううっ・・・哲学は苦手なのに・・・なんで買おうとしてい

る?」と自問自答するも答えはでず、本能的欲求なのか足はどんどんレジに

向かって歩調を速めており、ついに諦めて買って帰ってきた。

まっ、とにかく、それぐらい「哲学」が嫌いなんです。

しかし、帰宅の1時間後には、熟読の末、読み終わっていた。内容は至って

わかりやすく、哲学とは感じなかった。たぶんそれが、この人が絶賛された

理由でもあるのだろう。

著者の写真を見ると、怜悧な、何かを見据えるようなまなざしをした、かなり

美しい女性である。年齢は、私より少し上ぐらい・・・・

著者紹介の最後は「卓越した論理性と直感力、孤高ともいえる大胆な表現

に期待し高まるばかりなのだ。」と締めくくられている。

この著者の他の作品も読んでみよう、と、思い、アマゾンで検索してみた・・・

そして、著者が、すでに今年2月、癌で亡くなっていることを知り・・・・・・・

私は、なぜか動揺してしまった。また、「人の死」だ・・・・・

別に驚くようなことではない、別に動揺するようなことではない・・・

それはわかっている。しかし、動悸がし始める・・・・パニック発作の兆候。

本を床に投げ出して横になった。

「人の死」に対して、耐性が極端に下がっているのを感じる。

あまりにも、身近な人の死がたて続きすぎたせいなのだろうか?

アマゾンで検索してみつけた著書の中で、比較的出版年月の新しいものを

2冊注文した。2~3日中には届くようだ。

恐らくは、著者が自らに近づきつつある死を見据えながら書かれた著作の

集大成であろうと想像される、その書物が届くのを、今はただ待つのみ。

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三省堂書店の中のコーヒーショップ

昨日、久しぶりに友人に会った。友人は、県内の他市で市議会議員をしており、

かなり忙しい。市議会議員になる前、うちの近所に住んでいたころからの友人

なので、どうも、「先生」と呼ばれているのを聞くと、「誰のこと?」みたく思って

しまう・・・・そもそも、なんで議員は「先生」なんだろうか?

母がよく、「先生と言われるほどのバカじゃなし」というようなことを言っていた。

・・・・正確ではないかもしれないが。

というのは、話がそれてしまっていて、元に戻します。

友人も私も、愛用している三省堂書店内のコーヒーショップにはいって、

地方自治について、結構つっこんで会話になった。地方自治体の稼動状況は、

自治体毎の格差が激しいような気がしてならない。

「トップの考え方とか姿勢次第の部分が大きいのかな?」

「それなら、議員でなくて、首長さんになって、自分で一新したらどう?」

「無理、無理、そもそも当選できないから。」などと軽口をたたきながら、2時間

ほど話をしてから別れた。

すべての三省堂書店の中にあるのか、たまたま私の行く三省堂書店の中にだけ

あるのかはわからないが、書店内にコーヒーショップがある。

ここのお店では、立ち読みならぬ、座り読み、コーヒー飲みながら読みが許されて

いる。精算していない本を持ち込んで、内容を見てから買うのでも可、というのは

ありがたい。逆に悪用する人はいないのかな?

しかも、サイホンで煎れてくれるコーヒーが割と美味しい。ワッフル類が充実してい

て、これもまずまず美味しい。

私は、東京と千葉のデパート内にある三省堂に良く行くが、その理由は、買う前の

コーヒー飲みながら読みが大きいかもしれない。だいたい同系統の本を三冊ぐらい

持ち込んで、ざっと内容を見比べて一冊に絞る。そして、おいしいコーヒー・・・・・

それだけで、なんとなく幸せなひと時である。

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2007年10月29日 (月)

母の小さな遺影

母の写真を、遺影の小さいバージョンを眺めながら、今日一日を過ごした。

もとの写真は、息子の初節句の日に、母、夫、私、息子の4人で、セルフ

タイマーで家族写真を撮ったものである。

今日、写真の母が、心なしかいままでよりうれしそうに見えるのは、私の

気のせいかなあ・・・・

母は、私の子育てを助けるために近くに引越してきてくれたとき、弟の気持ちを

非常に気にしていた。捨てられたように感じていないか・・・みたいなことを。

弟が実際にどう感じていたのかはわからない。いろいろ思うところはあったよう

で、一度私と言い合いになったことはある。

弟の主張どおり、仏壇等が弟の手に渡ったことで、母は、千葉への引越し以来、

なんとはなしに気にし続けていた弟の気持ちのことから、やっと解放されたの

かもしれない。かなり「気にしい」であったから、母は、私もだけど。

今、ひとつだけ願いがかなうのであれば、もう一度母に会って、私のそばにいて

くれた11年間についてお礼を言いたい。そして、謝りたい。

亡くなってから母のことを思う気持ちの半分でも、生前の母に向けていたら、

ここまで悔いなくてもすんだと思う。私は、私の気持ちを母にぶつけるだけだった

のだ、甘え続けていた。そのことを謝りたい。もう少し、お母さんの気持ちを考えて

あげられなかったことを。

写真の母は、明るく笑っている。

笑い声が聞こえてきそうなほど・・・・

いっそ、声が聞こえてくればいいのに・・・(幻聴が出たといって、精神科にでも連れ

ていかれてしまうか・・・)

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仏壇、位牌、遺影、遺骨・・・・ついに引越し

昨日は、朝から、父母の引越し、もとい、父と母の仏壇、位牌、遺影、遺骨

の引越しであった。母のマンションから、埼玉の弟のところに移したのだ。

朝から、仏具もろもろを梱包し、夫と弟が2人で、仏壇をうちの車(ワゴン車)

の後部に積み込んだ。

弟が、過剰なほどに毛布やタオルで包んだり、隙間を埋めたりしてい

る姿を見て、弟は弟なりに父母および父母の仏壇等一式を大切に思って

いることが感じられ、少し安心したのも事実。

弟と息子が2列目座席に座り、夫が運転してくれるというので、私は助手席

に乗り込んだ。息子は、表情は恬淡としていたが、わざわざ埼玉までついて

来るぐらいだから、やはり何かいろいろ思うところがあったのだろう。

首都高にのって、1時間20分程度、父母が生前訪れたことのなかった弟の

家に着いた。

一昨日、父母の遺影の前に座って、ふたりに引越しのことを説明した。

別れの宴だからね、と、2時間ぐらいにわたり、お線香をもくもくと焚き続けた。

あっという間に家中がなんとなく白く霞んでいく・・・・不思議な世界。

父と母に、弟のところに行っても、私のところも見守り続けてね、とお願い

した。

弟の家の2階に仏壇を運び上げ、とりあえずなんとか設置、さっそくお参りして

引越しが無事に完了したことを父母に告げた。ふたりの姪っ子たちが、一緒

に並んで、一心にお参りしている姿がかわいらしく、気持ちが和んだ。

父と母も、この子たちに毎日声をかけてもらえるのなら、ここでの生活も悪く

なさそうだね・・・・よかったね・・・おとうさん、おかあさん。

その後、食事をごちそうになってから、また首都高で一路千葉まで帰ってきた。

夫と一緒に、息子を空手に練習に送って行ってから、母の葬儀を行ったセレモ

ニーホールに立ち寄った。

ここでの葬儀は、すでに4ヶ月以上前のことになるのか・・・

立ち寄ったのには訳があって、このセレモニーホールでは、なぜか一般的な

仏壇は展示していないが、現代仏壇と言われる、比較的小型で、かつ見た目が

どうしても仏壇というよりは飾り棚かおしゃれっぽいタンスにしか見えないような、

仏壇をたくさん展示しているのである。もちろん販売もする。

私は、弟の家に仏壇を送ったら、私の家用の小さな現代仏壇を買おうと以前から

決めていて、すでに何度も下見に来ていたのだ。

葬儀の時のホール側の担当者に、事前に購入予定の型も伝えてあったので、

あとはただ正式に注文書を書くだけだった。

担当者「お母様の家は片付きましたか?」

私「(ぎくっ、一番痛いところを・・・)いえ、全然、ほとんどあのまま・・・・仏壇だけ

  弟の家に移しただけで、他はそのままです。」

片付けなきゃ、と思う。

でも、あまり片付けてしまいたくない・・・・あのままにしておけたらいいのに・・・・

ずっと、ずっと、母が生きて生活していたときのままに・・・・

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一新塾・・・その後

先日、説明会に行ってきた「一新塾」について、その後をご報告します。

迷いに迷いましたが、思い切って入塾を申し込みました。

さきほど、受理されたことを確認したので、あとは、学費の振込み・・・

申込書に、志望動機を書き込んでいるうちに、私が突き当たっている壁

が少し見えてきた気がしました。

とにかく、このままではどうにもならない!!!少しでも動いてみよう。

一新塾と、そこでの新しい出会いが、私が道を切り拓くための力となって

くれると、今は信じよう。

11月4日から開講なので、おもしろい話があったら、随時ご報告します。

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インプラント治療

東京駅近くにある「インプラント」専門の歯医者さんに行ってきた。

このところ、医者と名のつくところに毎日のように行っているような気がする

のは気のせいか・・・・

休職中でありながら、医者通いは通勤並みに時間がかかる。あまり静養に

なっていないような気もするが・・・・・

私の上の前歯の一本は、現在仮歯がはいっている。

もともとは差し歯だったのだが、約一年前、階段7段転がり落ち、顔面を打撲

して、差し歯をしている歯の根元を折ったのだった。

その結果、もはや差し歯もできなくなって、「ブリッジ」か「インプラント」の選択肢

が私に与えられたわけだ。

もともとの差し歯は、大学生のときにバイクで下り坂途中で転倒事故を起こして

坂下まで転がり落ちた際に前歯を折ったものである。

私の人生は、転倒と転落の繰り返しといえる。幼少期に住んだ住居で、階段か

ら転落していない住居はない、と母が言っていた。そそっかしいのだろうか・・・

インプラントは保険外治療なので、一本で何十万円と治療費がかかる世界であ

る。顎骨にチタンのねじを打ち込んで、その上に人工の歯冠を被せる。

こう書くと簡単そうだが、歯科医の技術によって、かなり結果に差異が出るらし

いという話を聞いた私は、歯科医療の学会誌やら、インターネットやら駆使して、

ここが一番よさそうという直感で、今回行った歯科医院を探しあてたのであった。

実際に、院長の説明は、情熱的であり同時に淡々ともしており、いかに自らの

インプラント治療の技術に自信をもっているかを、自然に感じさせるものだった。

スタッフもかなり手際よい。

私は、インプラント治療をこの歯科医院で受けることを即決して、次回の予約を

取った上で帰ってきた。

治療の進行に合わせて、経過はまたご報告します。

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2007年10月27日 (土)

一新塾説明会ご報告

「一新塾」については詳しくは書きません。詳しく書こうとするときりがないほどの

情報量をどさっと渡されました。「一新力」という本ももらったし。

「松下政経塾」をうんと小型にして、コーチングや、コンサルティングの研修会社

と、一部分は、大学のゼミかフィールドワーク、異業種交流会、そんなようなもの

が、ごちゃごちゃとごった煮状態に詰まっているような・・・・

まずまずおもしろそうなところではありました。少なくても退屈はしないと思う。

しかし、少し遠いなぁ。田町というか三田。うちから一時間半以上はかかる。

通勤がしんどい、と思っている会社よりさらに遠い。思案のしどころ。

でも、やっぱり行こかな、という気もある。ブレーンストーミングなんて、会社

ではめったにやらないし、知恵を出し合って、コンセプトを固めて、フィールドを

決めて、現場に出る、なんて話を聞くと、大学時代を思い出す。

強張っちゃった心の柔軟材として、一期一年、通ってみよか・・・心乱れる。

おもしろそうなんだったら、とりあえず行けばいいじゃない?って・・・・・

ごもっともです。そうなんだけど、もちろんただじゃない。結構な受講費がかかる。

休職中でなければ時間がないから受講できない、休職中は時間はあるが給料

が減っているから資金が乏しい・・・・時間と経費の問題をクリアできるだろうか

と不安。

帰りに、働かずしてインターネットで5000万円稼いだ人の本を買ってしまいました。

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2007年10月26日 (金)

某大学病院内科にて

今日は、2週間前に通院した某大学病院内科に、再び通院する日であった。

検査結果から導き出された結論は実にあっさり。

「内科的な特段の異常認められず。」

つまり、不整脈も、頻脈も、原因は心臓ではないということ。

心というか脳というか、心因性だと思われるということだ。

さて、となると、ここからが問題となる。心因性系統に効くはずの薬は飲んで

いるのである、すでに、かなりの量を。でも改善しない、悪化している。

その理由を突き止めなければ、改善の見通しがたたないことになってしまう。

あるいは、どれだけかかるかわからないが、時間が解決してくれるのを待つか・・

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整体の威力

昨日、整体の威力につくづく感服する体験をした。あまりにも疲れていたので、最寄り駅の駅ビル内にあるリラクゼーションサロンに久しぶりに足が向いたのだが、たまたま整体コースがすぐにできるという。で、ちょっとした好奇心ではじめて整体コースを受けることにした。
少し恐れていた部分もあったのだが、揉みほぐしよりもよっぽど穏やか。ちょっと意外。穏やかというより、ゆっくり関節を動かしたり、じんわり押したり、という感じ、それだけのようでいて、なぜか次第に温かくなっきて、身体の動きもスムースになっていく。
終わってみると、顔が上気して赤い。よほど血の巡りがよくなったのだろう。
不思議な感覚だった。アロマテラピー、リフレクソロジーに並んで、か、あるいは以上?、整体の癒しの世界、静かにマイブームとなる。

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2007年10月25日 (木)

赤福

「伊勢~ぇの名物ぅ、赤福もちはええじゃないか」というCMソングが、

耳の奥底からときどき聞こえてくるようなきがする。幻聴?

最近、テレビで、新聞で「赤福」のことが出てくるたびに、子どもの頃から

いく度となく耳にした、「赤福」のCMソングがよみがえっちゃうのである。

名古屋に比較的長く暮らした私にとって、伊勢はわりと近い感覚。

お伊勢参りに行ってきた・・というような話題も、身のまわりでちょくちょく

耳にした。そんなとき、必ず、お土産として「赤福」が登場する。

伊勢でなくても、伊勢の方面に行ってきた人のお土産も「赤福」である

ことが多かった。赤福もち、わりと好きだったのに・・・・こんなことになる

なんて、裏切られた思い。いったいいくつ食べたことだろう。

あの中にも、再利用があったのかなぁ・・・・そういえば、微妙におもちの

固さが違うのがあったかも・・・・

どこの会社でもやっているのだろうか?一部の会社だけと言い切れる?

コンプライアンス(法令遵守)ということばが、今は悲しい。

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概日リズム睡眠障害

私の休職理由は、原因は不明ながらも、お昼までにすら出勤できない

体調不調が続いていて、さまざまな治療でも改善が見られなかったため、

自宅療養が必要となったものである。

その状態の原因特定、診断確定のため、先月末、睡眠障害専門の病院

に検査入院した。

その結果が出て、今日医師より説明を聞いてきた。

「概日リズム睡眠障害」、厳密には、「睡眠相後退症候群」、このよくわから

ないふたつの病名が、私についた診断であると告げられた。

ぶっちゃけて簡単に言ってしまえば、夜昼転倒、というか、睡眠時間帯が

正常な状態から後ろにズレてしまっている・・・ということ。

なぁ~んだ、そんなことなら以前から分かっている。だって、ずっとその通り

の状態が続いているのだから。状態に医学的な名称が付与されただけで

ある。複雑な気持ち・・・この診断のために○万円の検査入院・・・・

問題は、原因は何か?、改善の方法は?、っということだが、複合要因が

ありすぎて、現時点ではわからないとのこと。

原因解明と解決策の模索は、今後、受診のたびに、睡眠カウンセラーなる

方と、じっくり話しあって見つけていくこととなった。

それとは別に、保険診療では認められていないという、睡眠障害に効くとさ

れている「メラトニン製剤」をアメリカから取り寄せることとなった。

なんか大げさなことだ・・・・届くのは3~4週間後だという。はぁ~・・・・・。。。

メラトニン製剤の服用と、カウンセリングによる眠れない理由の排除の二本

立てにより、少しずつでも、寝付ける時間帯を前にずらして、その結果として

起きられる時間も前にずらしていけば、午前中の意識混濁、めまい、呼吸

困難、頻脈等の体調不調が改善するのではないか・・・・・という治療方針な

わけである。

いずれにしても、まだまだ長い道のり・・・あせっちゃいけない・・・・

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2007年10月23日 (火)

記念すべき休職初日だったのに

昨日は、休職の初日であった。

自分としては、スタートダッシュをきるつもりで、あれこれ計画をたてて

いたのだったが、恐るべきことに目が覚めたのがお昼・・・・・・

しかも、なんとなく苦しくて目が覚めたのであって、さわやかな目覚め

とは程遠いではないか・・・・

そうは言っていてもどんどん時間が過ぎてしまうので、思い切って

シャワーを浴びて、洗濯とか家事を始めた。

そうそう、朝飲む薬を飲まなくっちゃ・・・・

軽く牛乳を飲んでから、薬を飲んで、また家事の続き。

でも、どうもだんだん苦しさが増しているような気がするけど気のせい

なのかなぁ、と思っているうちに、息苦しさがつよくなってきた。

気のせいじゃないみたい・・・・・

2時に行く約束をしていたところに電話でキャンセルを入れて、

横になった。このまま母のように一人で死んでしまうのかなぁ・・・・

携帯電話を握り締めて横になっているうちに、いつしか眠りに落ちた。

「お母さん、お母さん、なんで携帯握り締めて寝てんの?」

学校から帰ってきた息子が、私の顔をのぞきこんでいる。

「生きてるみたいだね、ならいいや。ぼく、スイミング行ってくるからね。」

そう言って、息子はまた飛び出て行ってしまった。

私は、再び眠りに落ちていく・・・・

「わかった、8時半だね、お母さん?ずっと寝てるよ。」

また、息子の声が聞こえる、スイミングに行ったはずじゃなかったっけ?

時計を見たら3時間ぐらい時間が経過していた・・・・・

なんで私、こんなに眠ってばっかりいるの?・・・・なんで?

受話器を置いて振り向いた息子は、私が目を覚ましているのを見て、

「ずっと寝てるよ・・・とか、お父さんにちくったの、聞かれちまった・・・」

とつぶやいた。

とはいえ、もちろん、それを叱ったり、文句いったりする資格は私には

あろうはずもない。なにしろ事実なのだから。

なんと、情けない、スタートダッシュに終わった一日だった。

がっくり・・・・

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2007年10月22日 (月)

母の友人より

母の習い事関係でとても親しくしてくださっていた友人の方で、大怪我を

されて習い事を休んでいらしたために、たまたま母の訃報をご存知なか

った、という方から、母の家に電話をいただいた。

話し始めは涙声気味でいらしたのだが、私があまりにもしゃきしゃきと話

すせいか、だんだん元気になられ、いろいろ母のことを話してくださった。

母が日常的に口にしていた三大口癖

1 ころりと死にたい

2 子どもたちに絶対迷惑をかけたくない

3 寝たきりとか、病院に入院とか、そういうことになりたくない

なるほど、あの死に方は、確かに母の意向にかなっている。

本人が予想していたのより、時期が早かったということを除けば、

123すべての要件は満たされている。

突然すぎて、私がつらさから立ち直れないことを除けば・・・・だ。

母が亡くなったときの様子、恐らく就寝中に、眠ったまま急性心不全で

あったと思われること、表情はまるで眠るかのごとくで苦しんだ様子は

まったくなかったこと、そのような私の話を聞き終えた友人の方は、きっ

ぱりとおっしゃった。

「よかった、ご本人の望まれていた通りの亡くなり方で・・きっと納得され

ています。お電話してよかった、このお話ができて良かった。」

やはりそうくるのか・・・、この話は、母の別の友人の方からも聞いた。

きっと、その通りなんだろう。いつもそう言っていたんだろう。

でも、やっぱり、私にとっては同じだ。母は苦しまなかったかもしれないが、

一人きりで逝き、そのままなにがしかの時間、もしくは日が過ぎた。

この事実は変わらない。私の悔いが消えるわけではない。

お電話くださり、母の死を悲しんでくださり、感謝いたします。

ときどき、思い出してやってください。お世話になりましてありがとうござい

ました。

こう言って、私は受話器を置いた。この言葉に嘘はない。

ただ、なぜだか、電話の後、私の中の悲しみはさらに深まっていた。

母を見つけた時の映像が、消えなくなっていた。フラッシュバック・・・・

今はただ、時が過ぎるのを待つことしかできない。

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新しい出会いの予感

一昨日、あるNPO法人の設立2周年総会にオブザバー参加させてもらった。

そのNPOは、私が社会的制度として必要性を訴えていることと、かなり近い

ことを志向する団体であったことと、代表者の方が、私の友人が市会議員

に立候補した際に選挙事務所に手伝いに来てくださったので、そのお礼の

つもりもあった。

会が始まってみると、参加者というか、会員の皆さんが、あまりにも共通項

なく、なんというか、適切な表現がみつからないのだが、バリエーションに富

んでいるというか、必ずしも全員が同一方向に向かっているわけでもなさげ

な、この方たちは、何者?いったい何つながり?みたいな不思議な感じ・・・・

終了後、自然な流れで居酒屋に流れ、「みなさんは、何者?」みたいな素朴

な質問をしてみた。

「一新塾つながりです」と答えがかえってきたが、What is 「一新塾」?

そこで初めて、大前研一氏創立の一新塾なる私塾がある、ということだけは

知った。結局、詳しいことは帰宅してから毎度の通りGoogleのお世話になった

訳だが。

ふ~ん、何かにおう。私は、とても嗅覚が良いと自負している。

とにかく一度そこに足を運んでみる価値あり・・・鼻が訴えている。

さくさくとインターネットで直近の説明会に申込みして、さっそく来週行ってみる

ことにした。何かアンテナに触れるものがある。何かある。

だって、一昨日集まっていた、「一新塾つながり」なる方たちが、近来まれに

見るほど個性的で、意気軒昂で、理知的で、なんというのか、みんな光って

いた、ということは、一新塾に何かある可能性は高いはず、と踏んだ。

:24日の夜に行くので、結果はまたその後にご報告させていただきます。

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2007年10月20日 (土)

休職前の大残業??

来週から休職。いまだにきつねにつままれたような・・・・

でも、もう、体力、気力が、綱渡りというか糸渡りの状態で、緊張の

限界値を突き抜けているのに気づかないふりをしてきただけなの

かもしれない・・・・いずれにせよ、遠からず糸渡りは限界を迎える。

起きるのは、落下だ。

ぎりぎりのところで救われたのかもしれない、という気もする。

再び、糸渡りに戻れるのか、戻るのが良いのか、今はわからない。

選択肢を与えられたことに、感謝するべきなのであろう。

思い残すようなことのないよう、今日一日は、最近のいつも体調不良

の私にしては、早回しにしているぐらいよく働いた一日だった。

ただ、時間帯が常人と完全にズレている。午後2時から9時間。

9時間か、うん、まったくノンストップでまあよく頑張った。

始業定時から始めていれば、午後7時まで働いたのと同じ、普通である、

つまりたいした残業ではない、ということになる。

いずれにしても、休職はマイナス200点。評定には凄まじいダメージで

ある。

それでも、将来、いつの日にか、この決断が正しかったと思えるように

したい。

すでに、そうなるような気がしているのだ・・・・新しい一歩を、自分の心

に従った道への一歩を踏み出したような気が・・・

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都会の中、わずかなオアシス

仕事帰りに軽く一杯行きますか、なんて光景、最近は少し減って

来ているのでしょうか?

私個人で言えば、疲れが増すだけで、さほど楽しくはない。

仕事の上司、同僚はあくまでもそこでの関係、お酒を飲もうが、

遊びに行こうが、上司は上司、同僚は同僚、友達とは違うもの

という気がする。

私は、仕事帰りに一人でちょっとだけ寄り道するのがなによりも

楽しくて、本屋で立ち読みだったり、遠回りして違う路線で帰って

みるだったり、おしゃれげなお店でお茶するだったり、少しだけ

仕事人でもなく、母でもなく、主婦でもなく、「自由だ」という時間

を過ごせることが、幸せと感じる。ほんの少しの時間でいいので。

今週の幸せは、有楽町にある、東京国際フォーラム。

いつも地下を足早に通り抜けしているだけだったのだが、ちょっと

好奇心で地上に上がってみたら・・・・なかなかのオアシスがそこに

あった。人工的に造られた自然ぽい空間なのだが、頭上に木があ

るところで座って休んでいると、心の疲れが薄らいでいく心地がした。

風が通り抜けていく、木の葉がすこしだけざわめく・・・

そのまま、眠りに落ちて行きたいような幸せな気持ちだった。

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2007年10月19日 (金)

なんやかんやで突然休職に

勤続22年目(年がばれる・・・)、かなり真面目に働いてきたつもりです。

俗に、「女子総合職」と特別なくくりで呼ばれて生きてきました。

子どもを産むまでは、正直居心地は悪くなかったです。

育児休業をとって復職したあたりから、いや、育児休業中に予兆は見えて

いたか・・・怪しい気配が漂いはじめ・・・・

結局、今日まで座敷牢に入れられてきました。

それでも、座敷牢をわが職場と考えて、もくもくと働いてきたのはなぜ

だったのか?????

まっ、軽~く切られる前段階の休職なのかもしれません。

なにしろ、もともと牢内にて働いてきた身なれば・・・いつ処刑の日がきても

不思議はないといえば不思議はない。

一応、病気による休暇が与えられる予定です。なんの病気なの私?という

感じですが、母の死以降、不定愁訴が続いていることは確か。

いろいろ考えて、もうひとつ、これまでの会社生活についてだけのブログを

別に立ち上げることにしました。

休職中の身ならではの視線で、日本の大企業の実像と功罪に迫ってみたい

と思います。

なーんちゃって、どの辺までなら内情バラしちゃっても許されるものなのかしら?

守秘義務あるからなぁ・・・・遵法精神は叩き込まれておりますゆえ。

仕事・会社プログスタートしたら、このブログと相互リンク張るので、どちらも

見に来てくださいね。

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カラーセラピーその2

Photo_2 

先日、近所のリラクゼーションサロンで、カラーセラピーと

いうものを受けて、自分を見つめ直すのにオススメというこ

とを書いた。

今日は、また別のところで、やり方の違うカラーセラピーを

見つけたので、興味がわいてやってみた。

以前のものとも合わせて考察すると、カラーセラビーが読

み解く私は、だいたいこういうことになる。

・リーダーシップがあり、行動力に富む。やさしいところもある。ただし、気性は荒く、走りす

 ぎるところがある。

・プライドが高く、上昇志向がある。

・自分自身と真正面から向き合おっており、表面的意識と潜在意識がほぼ一致している。

・ただし、枠にはまって小さいことを気にする側面も持つ。

・今、転機を迎えており、悩んでいる。

・決断する勇気、新しい方向性、視野を広げる、自分の心に従う。

・新しいパートナーとの出会いがあるはず。

・思っていることを声に出すことで、今後が広がる。

と、こんな感じ。

ハァ〜、どうも、どこ行っても、今が転機ということになっちゃう。

会社辞めて、暴露本でも書いたほうがいいのかなぁ。

人生の中で、今ほど、自分が何者で、どう生きるかについて考え抜いたことはない気がす

る。やっと大人になったのかもしれない?遅いって!

それにしても、さて、これからどうするか・・・・

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2007年10月16日 (火)

一瞬ミステリーかと・・・新聞販売の実態

母が亡くなったのが6月・・・・

10月1日、2日、3日と、某大手新聞が新聞受けにはいっている。

近所のお宅の分と間違えたのか? でも3日も?

強引なお試し販売か?

私は、あれこれ考えあぐねてボンヤリしていたが、気の短い夫は、

さっさと調べて、新聞販売店に電話をした。

夫が母の名前と住所を告げて、契約していないはずだけど、なんで

毎日入れていくの?と質問している。

新聞店「いえ、ご本人にご契約いただいて、10月から入れさせていた

     だいています。」

夫・私「えっ??????本人が契約?」ふたりで目を見合わせた。

一瞬ミステリーが駆け抜けた。「母は生きている?」

しかし、さすがバリバリ理系で現実主義者の夫はすぐに冷静になる。

夫「契約したのは、いつなんでしょうか?」

新聞店「今年の3月に10月からの3ヶ月間のご契約を、さらに5月に

     来年の4月から3ヶ月間のご契約をいただいております。」

夫「母は、その後6月の死亡していますんで、契約は無効だと思うん

  です。新聞入れるの止めて下さい。」

新聞店「えっ・・・6月に・・・・わかりました。」

とりあえず、謎は解け、当面の問題は解決した。

しかし、母のことである、なんとなく、別の新聞についても、他の販売店

と似たような、ずっと先の契約をしているんではないかしらん。。。。

まったく驚かせてくれるよ。

それにしても、新聞販売店て、売り上げ件数至上主義なんだろうか?

来年4月から3ヶ月分の契約を、一年前にするとは・・・・・

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2007年10月15日 (月)

母の家の片付けつづき

Photo

人が住んでいなくても、か、住んでいないから、か、

わからないが、とにかく、母の家中の「ほこり」を

なんとかする必要がある。息子も姪も喘息発作

を起こしてししまう。

その程度の判断は、感傷ワールドの住人である

実務能力が消滅した私にもできる。

サッサを買ってきて、片っ端から拭いていく。

涼しい日であるにも関わらず、すぐに汗が流れる。

これは、一人工一日の仕事ではない。チーム対応が必要だ・・・・

ダスキンサービスとか、お掃除サービスのプロに一度徹底的にやってもらって

からの方がいいだろうか?

母は3LDKに一人で悠々と暮らしていたから、結構広い。

かつ一人暮らしなのに、なんでなんでなんで、こんなに荷物が多いのぉー?

と、掃除を始めていくらもたたないうちに、一人でやり抜く気力も体力もすっかり

萎えしまった私であった。

ふと、ピアノの上に目がいった。

ピアノの上に置いてある、あるもの・・・・写真上です。

そして再び、私は、思い出と感傷のワールドへとワープ。

(だめだ、私、掃除・片付け人失格、使えん奴だ・・・・トホホ)

これは、息子が、家族3人(夫・私・息子)で外房の海に海水浴に行ったときに、

どうしてもおばあちゃんにお土産として買って帰りたいと言い張って、買って

帰ってきたものである。

息子が、なぜ、「この」おみやげ、つまり、上の写真、にこだわったか?

その理由は、下の写真にある。

上と下は、よく似ている。

下のものは、息子がはじめての小学校の遠足で、両親に買ってきたおみやげ。

ひとつ500円、おこづかいが1000円だったので、ふたつしか買えなかったのだ

そうだ。

息子は、かなり長い間、おばあちゃんの分が買えなかったことを、気にしていた。

そして、しばらくして、外房千倉の道の駅である潮騒王国のお土産やさんで、

よく似たものを目にした彼は、たぶん生まれて初めて、「これ買って、これ買って」

と店の中で騒ぐ、わがまま小僧と化した。

普段、わがままを言わない小僧なので、聴いてみれば理由も理由だしで、結局、

親が買ってやって、息子が祖母に渡したのだった。

母の家には、ちびっこだったころの息子の思い出もいる。

いたるところに、母の生活の痕跡、父の思い出の品、母の家に長居すると、

もう戻れない思い出だけの世界に行ってしまいそうになる。

母がいて、30年以上前に亡くなった父がいる。そして、小さかった頃の息子がいる。

父と母の遺影の前で、このままここで眠って、この世界で生きて行きたい、もう

目覚めなくてもいいような気がしてきた。

でもそこには、今の、成長した、そしてこれからも成長する息子と、打ちのめされて

立ち直れない私をひたすら心配し続けてくれる夫はいないのだ。

両方の世界の重なる部分で生きていければよいのに・・・・しかしそれはファンタジー

であって現実ではない、そこのところがときどきわからなくなる私・・・・

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母の家の片付け

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今日の午後は、母の家の片付けに行った。6月10日から何回も行っているのに、

初めて家の中の状況、荷物の種類、位置、量、大切なものの場所、捨てなければ

ならない大量なもの・・・そのような客観的な観察、実態把握ができた気がする。

これまでは、ただ感傷的になっているばかりで頭働かなかったから・・・・

こういうのを、少しずつ立ち直っている、というのだろうか?

しかし、今日も結局、懐かしい数々の品を見つけて、途中からは感傷ワールドに

はいってしまった。

上の絵本は、いわむらかずおさん作の「14ひきシリーズ」の11冊うちの2冊。

息子が幼児だったころ、全冊買って、何度も何度も、本当に何度も、親子ともに

完全暗記するまで、毎晩のように読み聞かせをしていた。

そのうちの2冊は、母の家のリビングの書棚にあった。

私の帰宅が大残業ですごーく遅くなるとき、息子は母の家で、母に絵本を読ん

でもらったり、ピアノ(私の古ーいピアノ)をいたずらで弾いたりして、親の帰宅を

待っていた。特に月曜日が多かったと思う。

母は、ときどき、私の家にある絵本とローテーションさせていたようだ。

この2冊が最後のローテーションで、そのまま残っていたのだろう。

私が迎えにいくと、母の家のソファーで熟睡していた息子、大好きな絵本を

読んでもらっている途中だから、読み終わるまで帰らない、といって泣いていた

息子・・・この2冊の絵本から、当時の息子の姿がありありとよみがえってきた。

間違いなく、息子は、祖母の溢れんばかりの愛情によって育てられた。身体も

精紳も。おかしなことに、私の息子が、母の忘れ形見であるかのような・・・・・・

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2007年10月14日 (日)

母と歌舞伎座と水天宮

今、私の職場は歌舞伎座まで徒歩圏である。

かつて、ずいぶん以前のことになるが、母と二人で歌舞伎座に行った。

母は専ら片岡仁左衛門さんの演目が目的である。当日は、まだ仁左衛門

を襲名されておらず、片岡孝夫さんだったが。

「孝夫さん、孝夫さん」とはしゃいでいた母の声がよみがえる。

ここ11年ほどは千葉から東京まで行くだけだったが、名古屋に住んでいた

当時から、新幹線で歌舞伎座通いをしていた。

私が関西にいた頃は、私の顔見をかねて京都の南座にも通っていた。

新幹線や飛行機で通っている人は、それほど珍しくなかったらしく、よく、

「今日隣の席にいた人は、秋田から来たって言っていたよ」とか、「たまたま

名古屋の人と隣になったから一緒に帰った」とか、そんなことを言っていた。

私が息子を妊娠中、母はまだ名古屋に住んでいたが、「水天宮に腹帯をいた

だきに行きたいからお母さんも一緒に来てよ、うちは難産の家系なんでしょ、

難産になるのはやだ」とごねたら、「歌舞伎とセットなら行く」、との答え。

結局、歌舞伎座の席が取れた日に合わせて、水天宮にお参りに行った。

娘の安産祈願より歌舞伎座優先か・・・・と思わないでもなかったが・・・・・

まあ、名古屋から東京まで来てくれたんだし。

東京駅まで送っていく途中で、真っ赤なマタニティ用のスカートと紺色の

カーディガンを買ってくれた。

歌舞伎座が視界にはいるたびに、その日の母のことを思い出す。

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たかが運動会、されど運動会

息子の学校の運動会が中止になった。来年度以降も実施するかどうか

保留、文化祭も同様の措置が取られる模様とのことである。

そこまでに至った経緯は、一言で言うと「不祥事」が発生したため、とい

うことになってしまうのだが、詳細事情はかなり複雑で、重い。

息子が憧れて、焦がれて、たぶん生まれて初めて、努力らしい努力をして

やっと入学したばかりの学校。中学生になって初めての運動会、実行委員

になって、日夜楽しそうに準備作業をしていた息子。今、何を思っている?

私は、なんと言えばよいのか迷い、一瞬黙り込んだ。

「今、100年の歴史の中にいることを感じているよ。」

息子は、そう一言だけ言った。

「すごいことじゃないか、大好きで入った学校が生まれ変わることに、関わ

れるかもしれないじゃないか。」

夫は、そう答えた。

息子は、重々しく、でも少しだけ微笑みを浮かべて頷いた。

う~ん、なるほど、そうきたか。私には答えられない答えだと思った。

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2007年10月13日 (土)

本日、病院にて

本日、私、病院に行ってまいりました。我が国における最高学府とされて

いる教育機関附属病院である。したがって、医学部の学生が同席するこ

とがとても多いが、大学病院は教育機関であるのでご了承ください、と

言われては、反論はできない、というかできなかった。

受診の理由は、あまりにも脈が速い(100回前後/分)がつづき、めまいやら

呼吸困難やらが断続的にではなく、半日とか終日とか持続的に続くので、

何か大きな病気を抱え込んでいるのやもしれぬ・・・と不安になったのであ

る。なんといっても、母が急性心不全で亡くなったばかりであるし、その母

は心房細動の持病があったのであるからして、私の体調不良も何かその

類の病気の兆候か・・・・そうでないか、はっきりさせておこうと思った次第。

本日判明したことは、以下のとおり、まだ道半ば以前である。

・甲状腺機能は現時点では正常である。(私は昨年甲状腺の手術をしている)

・脳下垂体機能は正常である。

・血圧がかなり高い。

・脈は安静時で88。動作時は100を超える。(もともとは60台)

・肝機能障害がある。(ただしアルコール性ではない。)

・他に考えうる可能性としては、心臓そのものになんらかの負荷がかかって

 いること。持病のため服用中の薬の影響も考えられる。

ということで、何もわからなかったに等しい。

次回、2週間後、心電図検査、服用している薬の血中濃度確認予定。

主治医との会話の一部。この医師とは17~8年に及ぶつきあいがある。

主治医「それにしても、本当に驚きました。」

私「私、そんなに情緒不安でしたでしょうか?先生を驚かせるほど・・・・」

主治医「そうじゃなくて、お母様のこと・・・・亡くなり方、あなたが亡くなって

     いるのを見つけたこと・・・・そういうことに・・・そんなことが・・・・

     大変だったでしょう・・・・仮に情緒不安になっていたとしても、

     それだけのことがあったと聴いたのですから驚きませんよ。」

私「・・・(つまり、情緒不安ではあるわけか・・・・まあ、納得してるけど。)」

私「脈や血圧は、精神的なものですかね?」

主治医「原因がはっきりしない体調不良を、なんでも精神的なものが原因

     としておけばいいんだったら、内科医なんて余っちゃいますよ。

     じゃあ、続きの検査は2週間後に。」

というわけで、続きは2週間後のお楽しみとなったわけでした。

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2007年10月12日 (金)

お彼岸に母と歩いた杉林の夢

お彼岸の夜の夢。

母は何か言いたげな様子で、私と並んで黙って歩いていた。

杉林の中の一本道。暗い道ではなかった。

私の方が、「今になってそれは困る」というようなことを母に

訴えていた。

母は立ち止まって、私を見つめ返したが、何も言わなかった。

つくりモノのようにまっすぐに伸びた、たくさんの杉の木、

舗装されていない、でも、車が通ったあとの轍の残った道。

はるか後方に、たくさんの人がいたような気配・・・

あの夢は、なんだったのか?

お彼岸に母は、私に何かを伝えたかったのか?

それとも、私のほうが望んでいる何かが夢になったのか?

私は、いつまで、その道を歩き続ければよいのか?

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2007年10月11日 (木)

孤独死

母のことは、その生も死も、いずれ文章にしたいとは考えている。

が、今はまだ、母の死そのものが、ストンと自分の中に落ちてきていない。

私の中に、落ち着き場所がみつからないらしく、血液にでも混じって体内放浪

しているようだ。日によって、体中、違うところが痛む。

いつの日にか、ひとところにおさまってくれるのだろうか?

もしかして、そのときは、その場所だけ激痛が走り続けるなんてことはないと

信じたいが。

痛みの原因の主たるものは、母を一人で逝かせてしまったこと。

そして、すぐに気がついてあげられなかったこと。

死体検案書の死亡日時は「6月10日頃」なのだ・・・・・このことが、時間の経過

とともに、私の中で和らいだり、薄らいだりすることはないように思う。

増え続ける、独居高齢者。このマンションにもたくさんいらっしゃる。

お子さんや親戚の方が、近くにいらっしゃる方ばかりではない。

母を一人で逝かせてしまって、正確な死亡日時もわからないような死に方を

させてしまって、「孤独死」というものが、私の中に重く居座り続けている。

このままでよいはずがない。このまま看過してよいはずがない。

何かしなければ・・・・でも、何から手をつければよいのか・・・・

自分の気持ちさえも持て余している私にできること・・・・・

でも、もしかしたら、何か始めることでしか、私は私を許すことができないの

かもしれない。

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2007年10月10日 (水)

仏壇と母の遺骨を移送しなくてはならないことにつき

私は、結婚して夫の姓になっているから、家制度的には、家を出た者である。

弟が家の継承者であって、たとえ、近々お嫁さんのご両親と二世帯住宅を

建てそうな様相であっても、今のところ、私の実家にとって、長男は長男、

つまり、仏壇、位牌、お墓の継承者である。

たとえ私の家族が母と近所に住んでいて、私の夫がしょっちゅう母のアッシー

君をやっていたとしても、「電球が切れたから取り替えてー」と母が頼んでいた

相手が私の夫だとしても、私の夫は「身内ではない」と弟に言われてしまう。

私としては、まったく釈然としてない。確かに血はつながっていないけれど・・・

でもとにかく、今月中に、仏壇と、父、母の位牌、母の遺骨を弟の家に運んで

行く。夫はどこまでも優しい。「いいよ、いいよ、うちの車(バン)の後部にしっかり

括り付けて運んで行ってあげるよ。道が混まなきゃ一時間ぐらいのもんだ。」

という。あんなひどい言い方されたのに・・・・ごめんなさい。ありがとう。

家制度が崩壊しつつある今、お墓、お仏壇、位牌、といった古来からの供養の

方式も変わらざるをえないのではないのだろうか?

まあ、そんなこんなで、手元供養について勉強中なわけで・・・・

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私が生きる力を失っていたとき

「失っていたとき」なんていうと、過去のことのようだが、実は現在進行形のような

気もしている。パワーがないのだ。何も湧き出てこない。

もちろん生きてはいるのだけど、近い表現としては「抜け殻」か・・・

どーすれば改善方向に行くのか、正直なところ見えていない。

時間が解決するのか、気持ちを盛り上げるべく努力が必要なのか、それとも人生

仕切りなおすぐらいの荒療治が必要なのか・・・・・

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2007年10月 9日 (火)

亡き友のお母様よりの手紙

つい先日、亡き友人のお母様にばったり出会ったことを書いた。

今日は、もうひとりの亡くなった友人のお母様から、お手紙と季節

の果物が届いた。「お彼岸なので・・・・」と手紙にある。

何気ない文面の行間に、娘を失った母親の、血のにじむような

思いが見え隠れする。

まずい、と思ったときは手遅れで、私は持病のパニック発作をお

こした。呼吸が苦しい。薬を飲んでやっと治まった。

なぜか今週は、いやがおうにも、亡くなった友人たちを偲ぶ

週であらねばならぬらしい。いや、もともと、完全に忘れ去った

ことなどないのだけれど、そういうことだけではダメなものか。

しかし、私は、もう少なからず疲れてしまっていた。

立て続く、大切な友人たちの死。それに続く、母の死。もう、眠る

ことにすら恐怖感を感じるほど精神的に弱ってもいる。

それでも、私は、供養する側であらねばならない・・・・・

私の父は、私が中学一年生のときに病死している。

だから母は、母親であって、同時に大黒柱でもあった。絶対的な

存在、当時の私にとっては、そのようにしか表現できない存在だ

った。だから、大学受験にかこつけて家出したのである。

亡くなった友人は、自分の母を「グレートマザー」と呼んでいた。

「グレートマザー」のパワーの及ぶ領域から脱出したら、日本を半分

以上移動していた、と言っていた。彼女も大学受験にかこつけて家出

もどきをしたのであった。

私たちは似た者同士であった。大学での専攻も近かった。思想信条的

に類似点が多かった。死んでなんか欲しくなかった。

そうだ、死んで欲しくなかった。なんで、死んだ。なんで、黙っていた。

お母様へのお返事は、明日書くことにしよう。

明日、お礼状の書き方の雛形本を参考に、可も不可もないお返事を

書く。そう、心に決めた。

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2007年10月 8日 (月)

ピンク色のゆりの花

2 幕張新都心にいくつかあるホテルの中のひとつに、

ときどき覗いてみる、すてきなアクセサリーショップ

がある。

店長さんは、私より年上だと思うが、抜群のスタイル、

ちょっと江戸前の気風のいい話し方、私の憧れの人。

宝石をつかったアクセサリーではなく、リーズナブル

価格なのも、衝動買いの多い私(の財布)にとっては、

重要な要素である。

今日、そのお店の前を通りかかったら、大輪の「ピンク色のゆり」が飾られており、

私の心臓はドキンと高鳴った。

もともと、あの日まで、私は「白いゆり」しか知らなかった。

母が亡くなって、母のお葬式のための祭壇の準備をするあの日までは。

セレモニーホールの担当者の方に、

「お葬式は、お花畑の中で眠る感じに、どこからかトロイメライが聞こえてくる

ようにして」

「お花は淡い色で暖色系中心」「小さな花でなく、大きめのあでやかな花で」

「お花で祭壇を埋め尽くして」

等々、母が好みそうなことを思いつく限り注文をつけて、右往左往させたの

だった。最終的に、ほとんど全部の希望を叶えてくださったのだが。

「白いゆり」と「ピンクのゆり」を、半々ぐらいにして、あでやかで豪華な花祭壇

を作り上げてくれた。

お棺のまわりにもたくさん花を置いたので、本当にお花畑の中に眠っている形

になった。

お花入れのとき、顔のまわりには「ピンクのゆり」をたくさん置いた。

微笑んでいるようなやさしい顔のまま眠っている母、たくさんのピンクのゆりの花。

それが涙でゆがんだり、にじんだり、なかなか鮮明に像を結ばない。

でも、私の脳裏に終生消えることのない映像。

アクセサリーショップで、「ピンクのゆり」の写真を取らせてもらった。

理由を聞かれたので説明したら、黙って一本・・・・・といっても、咲いているお花2つ、

つぼみ2つ・・・・包装してくださった。「お母様に差し上げてください」と。

今、母の遺影に、「すごくきれいだよね」、と話しかけながら活けた。

甘いピンク色のゆりの花の香り。母との別れの日の思い出の中の香りと同じ。

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阿部典史さんの死に

二輪レーサー阿部典史さん・・ノリックが交通事故で亡くなったという。

そういうことはありえることだと頭では理解できるが、気持ちの中にストン

と落ちない。嘘だろう・・・・と思いたい。

ノリックが、彗星のようにレースデビューしたとき、あまりの速さと危なさに

目が離せなかった。当時、17歳か18歳ぐらいだっだのではないか。

もう32歳になっていたのか・・・・・風貌が20歳代から変わっていないので、

三十路ライダーだとは全然思っていなかった・・・・とはいえ、まだ若い。

夫も弟も叔父も(そして、かつて私も)、バイク乗りの多い一族なので、

なにかとレース観戦する機会も多かった。

残念でならない。

阿部典史さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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2007年10月 6日 (土)

亡き友のお母様との邂逅

私の友人は、そんなに多い方ではないと思う。友人の定義にもよるのだろうが。

とりあえず、この場では、単に付き合いがあるだけでなく、お互いに「人として

惚れ込む部分のある人」という思いがあること、という条件において、友人は

そんなにたくさんいない、としておく。

その数人の友人のうち2人が、ここ3年間で亡くなった。

私は、とても出会いに恵まれている。極めて非凡な、考えようによっては少々

変わった人たちとの出会いがあり、そして親しくなった。

その大切な人たちのうち、たて続いて2人が亡くなった。

がんと自死。2人とも壮絶な最期だった。30代、40代である。まだ若い。

どちらのときも、目の前が暗くなり、胸がつまり、私自身が倒れそうになった。

神様は、私に、すばらしい人々との出会いと、絶望的な別れの両方を与えら

れた。それ以来、私は、本当に心から快活な気持ちになれなくなった気がする。

そして母の死は真打の登場であり、私の人生から、寂しさを忘れている瞬間

というものは無くなった気がする。

今日、本当に偶然に、がんで亡くなった友人のお母様に街でばったりと会った。

たぶん80歳にお近くなられているはずだが、いったいいくつなのかまったく不詳。

腰の曲がりを除けば60代でとおりかねない風貌、友人の死に際してお会いした

当時より、間違いなく若返っておられる。恐ろしいほどである。

「あの子(友人が遺した一人息子)がひとり立ちできるまで、倒れることもできま

せん。」

友人はもともと、お母様、彼女、息子さん(私の息子と同じ年齢)の3人家族なの

で、要は、祖母と孫の2人家庭となってしまったため、お母様は、自分は病気

をすることすら許されない、と気を張って生きておられるのだ。

何の手助けもできない私は、近況をお聞きした上で、私の母の死をお伝えし、

納骨等一段落したらお伺いする旨お話して別れるしかなかった。

無力である。母の死に打ちのめされている自分が情けなくもあった。

そして、娘の死に打ちのめされていないはずのないお母様が、それを脇に置い

ておいて、孫を成人させることに命を張っておられる、そのお母様の命の輝き

のようなものが、夕暮れどきの薄闇の中、私の脳裏に確かに映った。

腰の曲がった後姿に、深く一礼してから家路についた。

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息子の持病

息子は喘息もちである。というか、昨日までは、「かつて小児喘息であった」っと

思っていたのだっだが・・・・昨日から今日にかけての3年ぶりの大発作のおかげ

で、現在進行形の「喘息もち」であることが判明したのだった。

本人および、われわれ両親のショックは深い。

なにしろ、小児喘息専門の主治医に、「これだけ長期間まったく兆候がないのだ

から、もうそろそろいいでしょう」、なんて、先月言われたばかりだったのだ。

先生!!!!

息子の喘息発作が始まると、自分が突然、他の要素を除いた母親100%の生命体

に変貌していくのがわかる・・・・

病院で点滴しても完全にはなくならない胸の砂嵐。今までは、あまりこんなことはな

かったのに・・・・悪くなっているのだろうか・・・・・

「まだ少しだけ苦しい・・・でも、もう大丈夫」と、逆に私を気遣う息子。

私には、息子の背をなぜることしかできないのに。

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私の好きなもの

自分の家・・・・築20年以上のオンポロマンションだけど絶景!!

マイPC・・・・DELL INSPIRON6400  この子なしには暮らせない

iPod・・・・いつも一緒

空手・・・・息子の勝負姿に惚れ惚れ

ととろグッズ・・・・お店ごと持って帰りたくなる

アロマテラピー・・・・至福のとき

chouruspiceのライブ・・・・千葉市でのライブとてもよかった!絶対また行きたい

ピアス・・・・まだ初心者だから、いろいろ着けてみたい

おいしい水・・・・一日3L飲料中

ネルドリップコーヒー・・・・お気に入りの店があるの

スイミング・・・・時間さえあれば何時間でも

アクセサリー・・・・ビビビときたものに出会ったら高くても買う

衣類・・・・いろんなパターンを試すのが好き 知り合いが私に気づかないくらい雰囲気の                違う服がたくさんある

ブログ・・・・はじめてみるとやめられない

活字・・・・活字ならなんでも好き  活字なきところに退屈あり

ピアノ・・・・手指の病気のため今は弾けないけど、子どもの頃はピアニスト志望だった

ガーベラ・・・・濃いピンク、薄いピンク、オレンジ、白  どの色にも惹かれる

医療福祉論・・・・私が勝手に命名して勉強している?研究? 表現不能につき                                                                                               

「モノ」以外の別枠

家族・・・・夫と息子・・・・・神様からの贈り物

   

          

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2007年10月 4日 (木)

母の好きなもの

赤いバラ・・・・・家中、赤いバラの造花がいたるところに

書道・・・・・・自分で書いた作品が廊下や壁のいたるところに

トロイメライ・・・・・・お葬式はトロイメライをかけておこなうようにと、生前から指示あり

           もちろん従いました    

おいしい生チョコ・・・・・・夫が出張のたびに関西で購入していた

らっきょうの酢漬け・・・・・・冷蔵庫にいっぱい

俳句・・・・・・何十年もやってたのだから好きだったのだと思うけれど、確証なし

衣類・・・・・とにかくおしゃれでした 

アクセサリー・・・・・・ちょっとしたものを上手につけていた

紅茶・・・・・高級なものが好きだった

歌舞伎・・・・・片岡仁左衛門さんの大ファン

演劇・・・・・お芝居を見るのは基本なんでも好きだった

コンサート・・・・・特にシャンソン、聞きに行くのも、自分が歌うのも好き

読書・・・・・私の買った本は、すべて私より先に母が読破していた

       かなりの読書量のはず

計算ドリル・・・・・ボケ防止のため、と言って計算ドリルに勤しんでいた模様

一人の時間・・・・・一人で過ごす時間をこよなく愛してしいた人

他にもいっぱいあるのだろうけれど・・・・・意外と知らないものだよなぁ。

母は、私の好きなものをどれぐらい知っていたのだろうか?????

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2007年10月 3日 (水)

行きたい・・秋の秋田

Oyasukyou 東京駅を歩いていたら、「秋」が目に飛び込んで来た。

駆け寄ってみると、それは秋田県小安峡のポスター。

10月中旬以降が紅葉の見ごろとのこと。

行きたい。どうしても行きたい。

西の秋も見事だった。20年前に見た、京都大原野の紅葉は忘れられない。

関東に来て18年、まだ、東の秋に目を見張った経験がない。

今年はきっと行こう。

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2007年10月 2日 (火)

リラクゼーション

私が、もうあかん!みたいに、心身どっちかか、あるいは両方とも

「やばい」感じになったときに、逃げ込む世界がある。

俗に、リラクゼーションといわれている諸々。

アロマテラピー、リフレクソロジー、ソフト整体、美顔エステ・・等々

「手当て」する、と言う言葉があるが、まさに「手当て」には、癒しの力が

あるように思われてならない。

今回は、感染性胃腸炎で弱りきった身も心も、なんとか早く立て直したい

一心で、リラクゼーション行ってきました。

ちょっとだけ、凝り固まった身体がほぐれた分だけ、何かが軽くなった気

がした。

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私の癒しグッズあれこれ

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「ととろ」のスタンプ。内容は「どうもありがとう」。

でも、「もったいなくて」使ったことはありません。

南船橋にある「ららぽーと」内のジブリグッズのお店で買い

ました。

食器棚の一番目立つところに置いて、毎日眺めながら食

事をしています。

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2007年10月 1日 (月)

久しぶりの出社

結局、先週はまるまる会社を休んでしまいました。だから、すごく久しぶりに

会社員の役をやるような気分で、段取りを忘れかけた仕事をオタオタしなが

らやっています。

本当は、本当は、もう、出てきたくはなかったような気もしています。

もう、だいぶ前から、ダメサラリーマン役をやるのに疲れを感じていたような・・

ダメサラリーマン役をおりるのだとしたら、次は、役ではなくて、全力でその存在

になりきりたいと思うような、そんなことをしてみたいような、ほのかな希望。

まだ、病み上がりの微熱の見せる、夢か意識朦朧か、定かではない。

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