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2007年9月

2007年9月28日 (金)

お彼岸に母は

実は、私は、お彼岸がいつだか正確にわかっていなかった。

この前の日曜日に、母と杉林の中の一本道を歩いている夢を見て、

そのことを夫に話したら、「お母さんは、お彼岸だから来てくれたん

だね。」と言われ、今がお彼岸だったのか、そうかそうか、と冷や汗

ものだった。夫は、こういう系統のことにわりと強い。

母は、私に伝えたいことがありそうだった。なんだったのかは、正確

にはわからない。ただ、私の会社がらみのことであったことは確か。

まっすぐな杉の木を背にして、母は杉の木の精のようだった。

生真面目一本の母に、杉の精はふさわしいかもしれない。

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あーあ、なんという一週間

お腹が痛くて、吐き気がして、熱があって、関節が痛くて、頭痛がして、息苦しくて、

トイレを息子と奪い合う羽目になり・・・そして、まだ治っていない。会社にも行けず。

いったい、いつ、トンネルを抜けるのか。

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カラーセラピー

カラーセラピーというものを受けてみた。

いつもアロマセラピーに通っていたところなのだが、

ふいに、カラーセラピーも受けてみたくなったのだ。

結果は期待以上のものでした。

色って、人の心とほんとうは同じものなのかもしれない。

http://www.color-iris.com/scentsation.htm

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親馬鹿

息子は筋肉質に鍛えられた細い上半身をしている。まだ中学1年生だから、

完全な逆三角形とはいかないが、将来有望かしら?と母はひそかに思っている。

で、下半身、脚の方は、腕の何倍あるんだ?と思うぐらいがっしりしている。

いまどきの子供なので、頭が小さく、腰が高く、立ち姿はなかなか絵になるのだが、

脚のがっしり感だけは今風ではない。。。太くはないのだが、がっしり。

保育園に通っている頃は、すでに「脚がっしり」だった。

保育園の行事で日本赤十字に募金を届けに行ったそうだ。

いろいろな実演を希望する人は前に出てください、というところで、息子は前に

でたらしい。赤十字の係りの人が、息子の脚をさわって、「しっかりした脚だね」

と言ったとき、息子は誇らしげに「脚ががっしりしているって、いつもお母さんに

言われている」と答えたそうだ。

脚ががっしりでも、腕が真っ黒でも、親にいとおしげに言われたことは、子どもに

とって自信、自慢なのだろうか。

ただし、この話、本人はもう覚えていない。そんなようなことがあったような・・・気が

しないでもないけど・・・・ぐらいの記憶しか残っていないようだ。

しかし、私には、保育士さんの証言と写真という証拠が残っているので、息子の

記憶はないならないでよい。

私が何気なく言った一言を、息子が自慢げにみんなの前で披露したことが、とても

うれしかったのだ。

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2007年9月27日 (木)

賭け

今、私は、行きつけの店でネルドリッブコーヒーを飲んでいる。感染性胃腸炎がほば治りかけという者がコーヒーを飲むことができるものかなのか?でも、カフェインの禁断症状もきつい。結果はコーヒーの圧勝で、飲み終わると同時に激しい腹痛、しおれてトイレに向かう私。

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2007年9月26日 (水)

固定用伸縮性粘着シート・プッチン錠の思い出

「固定用伸縮性粘着シート」「プッチン錠」

さて、これはなんでしょう。

今、私は息子のかかりつけ病院近くの処方箋薬局にいる。その処方箋薬局には、

壁一面に消毒液とか絆創膏とかの医薬関連品を売っているコーナーがある。

ふたつとも、そこに売っているもので、かつて、ここに来るたびに、母に頼まれて

買っていた。

「固定用伸縮性粘着シート」これはまあ、名称の通り、シップ薬とか貼って、その上

から貼って固定するシート。絆創膏よりかぶれなどしなくて具合いよかったらしい。

さて、「プッチン錠剤」。リウマチで手が変形して握力がゼロに近い母にとって、病

院でもらったクスリを指で押し出してプッチンするのも一苦労だった模様。

そこで、わずかな力で、くすりをシートから押し出してくれるプラスチック製の

「プッチン錠」の活躍となるわけ。

久しぶりに、自分と息子の感染性胃腸炎のクスリをもらうためその処方箋薬局に

来たのだった。

入ると同時に、何気なく、自然の流れで「固定用伸縮性粘着シート」に目が行く私。

習慣になっていた・・・でも、これを「買ってきてね」と言っていた母はもういない。

買う必要のない「固定用伸縮性粘着シート」に触れて、「母はもういない」のだと

自分に言い聞かせた。

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2007年9月25日 (火)

感染性胃腸炎

腹痛、吐き気、頭痛、発熱、関節痛・・・・・ヨロヨロとしながら夫に抱えられて

病院へ。

「感染性胃腸炎ですね、ずいぶんひどいようですね・・・・・」

お医者さんは、さわやかに言った。そうかずいぶんひどいのか・・・・・

注射をして、薬をもらって帰ってきた。

それが日曜日のことだ。今、いったい何曜日だ?

よくわからないけど、吐き気がなくなったのと、腹痛が少し軽くなったの以外

はこれといって改善なし。

しかも、昨日、息子も倒れた、症状が私と一緒・・・・・夫、看病に大活躍である。

病気のとき看病されることは、とても幸せなことだとしみじみ思った。

確かおととしの夏、母がこんな状態になってしまい、咳もひどくて、動けないか

ら体力もどんどん落ちていき、自分でも「もうだめだ・・・・・」と思ったと言ってい

た。あのとき、もっともっと熱心に看病してあげればよかった。

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2007年9月22日 (土)

怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒悲

中途半端な怒りが不幸のもと!Sunset

怒りがおさまらないなら、自ら核弾頭になろう!

いい子ぶるのも、長いものに巻かれるのも、

昨日までで終わり。

あとは、なるようになる。

いくらなんでも、もう、腹をくくらなければ。

そうでないのなら、一生中途半端に不幸を背負

って生きるしかない。

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2007年9月20日 (木)

怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒

「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」とかなんとか、植木等が歌って

いたような気がする。そうなのかもしれないけれど・・・・でも、でも・・・・・・

そうばっかりでもないんだよっ!!!!と言いたい。

少なくても、今日の私は、脳内メーカーだったら「怒」の字が脳内を占めて

いたはずだ。

てやんでぃ、馬鹿野郎。怒りはつきない。怒りのあまりお昼ごはんは食べら

れず。そろそろお腹がすいてきた。

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2007年9月19日 (水)

焼酎ロック 憧れの“海”

Photo

このブログのかなり前の方の回で、鹿児島大海酒造の芋焼酎 「海」

のことを書いた。

割烹で出された焼酎ロックがあまりにもさわやかな飲み口だったので、

一口惚れ?してしまったのだ。

その後、千葉では有数の品揃えと名高い酒屋さんに行くも、「海」とは

会えず。大海酒造から直接入手しようとして、それもダメだった。

割と手に入りにくいという話しも聞いた。

それがなんと、灯台もと暗し、とはこのことか。いつも晩御飯のおかず

を買いに行く、地元のスーパーマーケットのお酒コーナーに、ひっそりと、

しかし堂々と、3本もおわしました。なぜ・・・?

「海」は手軽に飲む焼酎ではなさそうだ。並クラスの焼酎の3倍の価格、

はっきり言えば高級焼酎であって、ガンガン売れるものではないらしい。

造る方もガンガン造るのではないのだろう。つまり、この出会いは千載

一遇といえるのではないか?で、夕食のおかずはやめて、「海」を買い

ました。当然ですが、たっぷり飲みました。こういうときは、ツレアイが

酒飲みでよかったなぁーとしみじみ思う。ほろ酔い同士の深夜の会話は、

本音トークで一触即発、しかしまあ楽しかった。

次回は、同じ大海酒造の「海王」にしよう。同じ価格だが、なんと言っても

海の「王」である。「海」とどこがどうちがうのか?期待に胸がはずむ。

「王」たる品格に出会えることを楽しみに。

なにしろ、「海王」も同じスーパーマーケットに1本だけあったのだから。

すばらしいスーパーマーケットのお酒仕入れ担当者に乾杯、感服、感謝、

感激、ぜひお会いしてみたいです。

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2007年9月17日 (月)

昨夜プールにて

昨夜、プールに行って水に浮かぶように漂っているとき、ふっと浮かんで来た言葉は

子宮回帰。人は皆、母親の子宮の中で羊水の海で泳ぐ。その記憶はどこかに残って

いるのだろうか。

妊娠2ヶ月か3ヶ月の頃だっただろうか、産婦人科に定期健診に行くたびに、超音波で、

息子が羊水の中で泳いだり、手足を動かしたりしている姿を見せてもらえるのが、何

よりも楽しみだった。しかも、先生は、その様子を毎回ビデオに録画して下さるのだ。

家に帰ってから、夫と二人でビデオを何度も見て、今手を振った、とか、足らしきもの

をバタバタさせた、とか、何ヶ月も先に生まれてくる子が、どんな子なんだろうね、とか

とりとめもなく話して、もう親になったような気持ちだった。

現実の子育ては、親にとっても、子どもにとってもいいことばかりではなく、大変なこと

もたくさんある訳で、子どもがお腹の中にいた時代は、メルヘンとして親子ともに幸せ

であったのかもしれない。

長い前置きになった。

深夜のプールは、少し暗く、人も少なく、水中に潜ったり漂ったりしていると、穏やかな、

少し意識がぼやけたような、夢の中にいるような気分になった。現実に起きている多く

のことが、意識の中で輪郭を失いはじめていた。

このまま眠ってしまいたい、漠然とそう思いながら、何泳ぎとも言いがたい泳ぎ方で

泳ぎ続けていた。

結局、最後には、大音量で終了の合図がはいり、一瞬で現世に意識が戻ってきたの

だけど。

水からあがった途端、突然こみ上げてくる思いに息がつまりそうになり、しかし、その

思いがなんだかわからず、涙も鼻水もプールの水も全部混じったびしょびしょの顔を

タオルで拭きながら、「なんだ、なんだ」とうろたえてしまった。

そして、少しして気持ちが落ち着いてから、子宮から出なければならないのは、ずい

ぶん不安なことなのかなぁ、さっきのこみ上げてきた息苦しさは強い不安のような感じ

だったなぁ、と考えながら、家まで帰ったのだった。

出産後の中断はあったとはいえ、小学2年生で初めてスイミングスクールに入って

以来、長らく泳いできた中で、昨夜のような思いがこみ上げたことはなかった。

依存しきっていた母から、突然亡くなってしまった母から、本当に自立しなければ、

もう、母なしの生活を現実のものとして受け入れなければ、そう、私の心が私の心

身のすべてが、語りかけてきたようだった。

ようやく現実感がわいてきたのかもしれない。

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2007年9月16日 (日)

母の苦言

茶髪にしたことを書いているうちに、生前、母がよく言っていた苦言?を

思い出した。

・髪は染めないように

・ピアス穴をあけないように

・まつ毛パーマをかけないように

中学生に対して言っていることのようでしょう?

でも、これ、中学や高校のときには一度も言われたことはなく、全部私が

子どもを産んでから母に言われたこと。

そして、これを全部破ったのは、私が40歳を過ぎてから・・・

いかに私が「おりこうさんのいい子ちゃん」であったかわかるというものだ。

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美容院にて

今日は、美容院に行ってきた。

髪をオレンジ!に染めて、少し短くして、とってもさっぱりした。

オレンジ?というとスゴイ色になったみたいだけど、もともとカラス

なみに真っ黒な私の髪をオレンジ系の毛染め染料で染めても、

オレンジっぽい明るい茶髪になっただけ・・・・という気もしないでも

ない。でも、なーんか、形から入りたかったんだよね、明るいげな

容姿という形から、明るい精紳状態にと・・・単純な私。

休み明け、ガチガチの金融機関であるところの私の勤務先の、

上司の反応が楽しみだ・・・ワハハ。

私のいきつけの美容院は、jujurというお店ですが、バリ風内装で

おしゃれだけど、ゆったり寛げる雰囲気。トイレがステキ!!

スタッフの方は、みんな個性的でかっこよく、感じがよい、腕もよい。

お勧めです。

Photo

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やっぱりプールはいいな

夜の10時ごろからスポーツクラブに行って、久しぶりに500mぐらい泳いできた。

息子を産むまでは、週に最低1回は必ず泳いでいた。興がのると2000mぐらい

泳ぐこともあった。その運動量の当然の結果として、当時私はかなり細身だった。

ほぼ別人となってしまった今さら、愚痴を言ってもしかたがない。

息子も中学生になったんだし、母親が深夜にスポーツクラブに行ったから寂しい、

ということもなかろう、と判断し、できる範囲でスイミングを復活させることにした。

ちなみに息子は、5歳からずっと、週に1日、コナミスポーツクラブのスイミングに

行っており、その成果か、逆三角形傾向になりつつ、かなりスリムである。

一応選手養成コースに行っているが、目的は健康維持のみで、選手を目指せる

レベルではまったくない。幼少期の持病である喘息発作を抑えつつ体力をつける

ためにできるスポーツがスイミングしかなかったため、明けても暮れてもスイミン

グに通い続けた次第。でも、あんなに体型が良くなるなんて、うれしいけど、なん

か納得できないような気もする。あ~、また話がそれていく、軌道修正。

久しぶりなので、あまりきれいな泳ぎはできない。スピードもでない。たらりん、た

らりん、ぷかりん、ぷかりん、という、浮かび泳ぎになる。それでも、息があがる。

ところで、私の、水泳の最初の師は、ベルリンオリンピック金メダリスト、「前畑が

んばれ、がんばれ」の前畑選手です。当時すでにご高齢にはなられていましたが。

ちょっと自慢。閑話休題。また、話がそれちゃった。

どうも、真面目バージョンにならないようだから、続きは次回とします。

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母の死から3ヶ月過ぎたつづきのつづき

前々回、何で煮詰まってしまったか、子どものわがまま

レベルの泣き言を羅列した私。年はとっても、精神年齢

は結構低いのかもしれない・・・・

あらためて読み返してみて、なんか変だな、と思った。

本当は、気分のアップダウンが激しいときに、心落ち着く

効果があった「癒しのあれこれ」について話を進めるつもり

で書き始めたのだが、書いているうちに方向がどんどん

それてきている。いまさら方向修正するのもなんなので、

もう、いっそ自然の流れにまかせて、それたままの路線で

話を進める。

母が亡くなってみて、つくづく私は母に依存して(言葉を代

えれば「甘えていた」ということなんだろう)生きてきたのだ

と思い知る。それも、なんとなく、大人になってから、正確

には息子を産んでから、その傾向が強くなったように思え

る。

自分としては、母が私を頼っているものとずっと思ってき

たのだが、実態は逆であったということか。。。。。

新鮮な???驚き!!?

ともあれ、母が100歳ぐらいまで生きるであろう前提で、そ

の母を自分の人生に組み込んで、私は私の人生を考えて

いたので、前提が忽然と亡くなって呆然としているのだとも

いえる。

なにしろ、母の家系は、100歳前後まで生きた女性が多数

おり、祖母だってあと3ヶ月で100歳というところまで生きて、

ついこの間亡くなったばかりなのだから。

もしかしたら母は、私が自分で勝手に自縄自縛に陥ってい

るのを逆に心配していてくれたのやもしれぬ。

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2007年9月14日 (金)

友の三回忌

明日は、かつて親友、戦友、同志と互いに思っていた友人の

三回忌である。

今でも思い出すのがつらい。友人は自死したのであった。

真面目で、真っ白と言って良いほどのきれいな性格、能力

の高さ、どれをとっても、惜しまれ、悔やまれ、無念さに息苦

しくなる。かつ、わずかながら怒りも混じっている。

生き残った者は、ただ冥福を祈ることしかできない。

6月の母の死、9月の友の三回忌、今年初夏から晩夏まで約

3ヶ月間、私の中には、いつも大切な人たちの死の気配が宿

り続けている。

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2007年9月13日 (木)

母の死から3ヶ月すぎたつづき

前回のつづきです。

気分や行動力のアップダウンが激しくなる、というのが、私が

極端に追い詰められたときに現れる症状だとわかってきた。

このままでは、いくらダメサラリーマンとはいえ、20年以上も

働き続けてきたのに(そのために、母は故郷の名古屋を離れて

千葉に引越してきてくれたのに)、本当に×をつけられてしまう。

なにしろ、穏やかにスムーズに仕事が進まないのだから・・・・・

話を元に戻そう。

一体私は、なんで極端に追い詰められてしまったのか。

・母の突然死に責任を感じているから。

・母の突然死によって、自分自身の原点を失ったような、

心元ない心境になってしまったから。

・母に、経済的に安心して豊かな老後を過ごしてもらおうと、

そうやって恩返ししようと張り切って働いていたのに、働く一番

大きな目的を見失ってしまったから。

・寂しくて、悔やまれて、いたたまれない気持ちだから。

・母が面倒見てくれていた息子のことを、私が自分でやらなけ

ればならなくなって、息子との精神的せめぎ合いが結構大変

  だから。(息子と夫のバトルの間に立つのが大変)

・母がやってくれていた、うちの家事を自分達でやらなければ

  ならなくなって、物理的に大変になったのと同時に、溜まった

  家事を目の前に、家族内でのせめぎ合いが激増したから。

・今ひとつうまくいかず、ずっと疎遠になっていた兄弟と、頻繁

にやりとりせざるをえなくて、物凄いストレスが溜まる。

・わずかとはいえ相続手続をしなければならないが、これが

とっても煩瑣で憂鬱。

・母の家を少しずつでも片付けていかなければならないのに、

全然進まないから。

まだまだ書き出したらきりがなくなってきた。

しかし読み返してみると、ほとんど子どもの泣き言レベルでは

ないか・・・・・

あまり長くなってしまったので、つづきはさらに次回。

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2007年9月11日 (火)

母の死から3ヶ月すぎた

元来、気持ちと行動力の浮き沈みが激しい私は、日頃から

少しでも振幅を小さくしようと気をつけていた。

しかし、このところ、気をつけてぐらいではすまなくなり、かなり

本気で努力を重ねなければならなくなった。

母の急死から1ヶ月ぐらいの間、躁状態も鬱状態も、いずれも

現れず、片付け屋に徹して黙々と働く日々。どこかでドカンと

来るんじゃないか?と思っていたら、約1ヶ月経過後、突然体調

が急降下した。ただ立ち上がるだけのことがつらくて、なかなか

動けない。自分としては、気持ちはそんなに沈んではいない、

と思っていて、一旦動き出してしまえばやらなければならない

ことはできていた。

でも、とにかく朝、どうしようもなく体調が悪くてどうにもならない。

一体これはなんなのだろう?、どうすれば治るのだろう?

なんとか立ち上がって病院に行っても、その時には正常に

動けるようになっているので、「異常なし、具合悪い時に来て

下さい」と医者に言われてしまう。具合が悪いときは動けない

んだよ!!!(怒)

まあ、どこまで続いているのかよくわからないトンネルの中を

一人で歩いているような状態だった。今思えば、気が張って

いて、気持ちの沈み込みの自覚がなく、身体状態の不調の方

だけ自覚があったということだと思う。

しばらく経つと、今度は体調は回復してきた一方、夜になって

も眠れない、やけ食い、やけ買い、けんかっぱやい・・行動力?

が溢れて困った事態になった。

ついに振幅の幅が社会生活の許容範囲を振り切ったようだった。

今まで私は、落ち込んだり、疲れがひどいときにこそ、癒しの

出番だと思っていた。実際効果というか、楽になったのは事実だ。

しかし、どうやら癒しの効果は、沈みがちのときだけのものでは

ない、と気づかされた。以下次号。

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2007年9月10日 (月)

ライブの効能

昨夜、CHORUSPICEのライブに行ってきたことは、すでにご報告の通り。アンコール3曲歌い終わっても、会場は盛り上がったまま、帰ろうとする人はほとんど見当たらなかった。ちょっと名残惜しかったが、すでにほとんど午後10時、いくら近いとはいえもう帰らなければ。スタッフの方に挨拶して店を出た。さっきまでいた空間が、過ごした時が、夢を見ていたかのように、千葉駅裏の寂れた日常の中に身を戻し、どうも遅れがちな心の方もズルズル引きずりながら家に帰った。片付けや洗濯、ブログを書いてから就寝。したはずだったが、神経は眠ってくれなかったらしい。明け方まで不思議な夢ばかり見ていて、起きるべき時間間近から寝入ったから、もーどうしようもない。目が覚めたのは、午前10時であった。会社に着いているべき時間である。上司に詫びをいれ、午後から出社した次第。CDとライブでは、同じ曲だとすぐ気付かないぐらい、心に響いてくる力が違っていた。真面目に感動しました。
しかし、月曜日から大遅刻という「つけ」を払うことになったのだった。日曜日のライブに行くのは自粛するべきかなぁ?

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おいしいコーヒーとケーキのお店

千葉駅の近く、高架下にC−oneというショッピングセンター

がある。

そこに、私としては「本当においしいなぁ」と思う、数少ない

「コーヒーとケーキのお店」がある。

2〜3年前、一度だけ母と一緒に行った。

母は、私ほどのコーヒー狂ではないが、とにかく甘いもの

が好き。コーヒーを頼んで、いちごショートケーキを食べた。

今でもその店に入るたびに、母が「おいしいケーキだね」と

言ったことを思い出す。

母の死後も、あの時と同じ席に座って窓の外を見ながら、

コーヒーとソフトクリームを頼む。私は母の死後、あの店で

ケーキを頼めなくなっている。

それなのに必ず、「おいしいケーキだね」という母の声が聞

こえてくるような気がして、不思議なぐらいみごとに自然と

視界がにじんでくる。それでも、やはり近くを通れば寄ってし

まうのである。

http://www.c-one.or.jp/cgi-bin2/members/shop1.php?member_id=341

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2007年9月 9日 (日)

CHORUSPICE(コーラスパイス)

コーラスパイス、私が今聞いているライブのアーティスト達

のグループ名。

トトロのオススメ、癒し系コーラスグループと認定しまし

た。男性3人のグループだけど、3人3様の優しさと底力、

ハモることで1+1+1=3ではなく、3の3乗みたいなバリ

エーションが生まれる。

私は音楽の道に進もうとして挫折したが、耳はまずまず

いい方だと思う。

この人たちは、音楽というより、自分達の音声そのものを

響かせることで、癒したり、励ましたり、盛り上げたり、聴

いている人の心に直接響かせる力があると感じた。

母を亡くして以来、音楽への興味も失っていた私が、久し

ぶりにちょっと気になる音楽と触れ合った。

http://www.choruspice.jp/info.html

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初体験ライブハウス!!

今、私は、とても私らしくないところにいる。千葉駅裏のライブ

ハウス。

ライブハウスというところに足を踏み入れたのはたぶん初めて。

なんというか、とても落ち着きが悪い。

そもそも私は、古き悪しきジャパニーズサラリーマンで、上司や

同僚のおじさんたち達と、会社帰りに居酒屋に行くことはあって

も、ライブハウスに行く習慣はない。

なのに、なぜ、今、こんなことになっているのか?

もとはと言えば、8月初旬、千葉駅近くを歩いていたとき、突然

耳に飛び込んで来た美しいコーラスにフラフラと引き寄せられ

てしまい、よくわけがわからないまま、その路上ライブを最後

まで聞きいってしまった。

それが今日のライブの主、「CHORUSPICE(コーラスパイス)」

だったわけだ。

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なんとなく勢いでCDを2枚買ってしまい、息子と二人で聞きなが

ら、これは生で聞いてみたいよねぇ、となった次第。

しかし当の息子は空手の大会が近いので、空手の練習に行っ

てしまい、結局私一人が、極めて場違いなライブハウスの隅っ

こでジンジャエールをすすっていることになっているわけです。

いざライブが始まると、さすが声がいい。優しさと強さがまこと

によい加減にまざりあっている。

程よい癒し系とでもいうか、当初の期待を大幅に上回っている。

もしかしたら、きっかけがあれば、ブレイクするかもなぁ、という

気もする。スロー、アップテンポ、アカペラ、いろんなパターンの

曲を歌いこなせるのは、実力があるということなのかな?

これからが楽しみ・・・

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2007年9月 5日 (水)

息子の会津旅行

Photo_2

息子が学校のクラス旅行から帰ってきた。

2泊3日、会津・裏磐梯の旅。

真っ黒に日焼けして、ますます年齢不詳となった。

中学一年生でありながら、小学生の頃から高校生

と間違えられたことが多い。

息子は写真を撮るのが好きで(上手かどうかは別です)、

携帯電話のカメラは日頃から大活躍している。

今回の作品は、鶴ヶ城(下の写真)。

ちなみに上の写真は、お土産に買ってきてくれた

「起き上がりこぼし」。これを撮影したのは、私です。

Photo

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2007年9月 3日 (月)

新丸ビルのお茶漬けやさん

今日は、友達と二人で、東京駅丸ノ内側にできて間もない

新丸ビルに行った。

ショップを見てまわったのだが、おもしろい店がたくさんある。

一つ一つじっくり見ていると、一日ではとても追い付かない。

食べる方の店も、各種取り揃えられており、目移りしてしまう。

結局、私たちは、「えん」というお茶漬けやさんに入った。

大行列の最後尾に列んだときは、正直なところ、いつ食べら

れるのかと、少なからず暗い気持ちになったが、「お茶漬けが

いい」という、連れの意志は固かった。

彼女は、揚げ海老お茶漬け、私は、季節限定、秋刀魚の梅あ

えお茶漬けを頼む。どちらも大ヒットだった、お・い・し・い・・・

かつてのビジネス街丸ノ内は、大変貌を遂げていた。

気付いてみると、周囲にはブランドショップが列び、飲食店、

物販ショップ共に充実した一大商業地域となっていた。

いい意味?でおとなの遊び場である。(悪い意味のおとなの遊び

場って何????)

近いうちにまた遊びに来ようね!と友達と約束しながら千葉に

帰った。

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2007年9月 2日 (日)

名古屋市千種区の凶悪な事件

世の中には、ひどいこと、腹立たしいことが山積みしている。

許せない!と思うことも少なからずある。

しかし、先日の事件、名古屋市千種区の路上で、帰宅途中の

女性が拉致強盗に遭い、殺されて山中に捨てられたという、

残忍で悲惨で心痛む事件、これは、許せない、というレベルを

超える次元のものだと思った。

まず、第一報を聞いた際、私の心臓は跳ね上がった。

これには訳があって、被害者の女性のご住所が、私の母の

実家、つまり私が大学にはいるまで暮らしていた家と同じ町内

で、拉致された場所が、私が日常通っていた同じ道だったから

である。

はっきり言って他人事とは思えなかった。

きしむように胸が痛み、あのような閑静で平和でのどかな住宅

街で、ここまで凶悪なことがおきるのであれば、もうこの国では、

安心や安全という言葉は死後に近いと思った。

被害者の方のご家庭は、母一人娘一人のご家庭だったとのこ

とだが、お母様が「絶対に、絶対に、許しません。」というコメン

トを出されたと聞いた。言葉にすると、そうとしか言い様がない

と思う。

本当のお気持ちはそんなものではないだろう。

言葉にできるものではないのだろう。

言葉にするとすれば、というコメントだと思った。

私も娘ではないか、子どもは息子ひとりだけで、もしも息子が

お金目的の強盗にあって殺されたら・・・・私は敵をとって自分

も後を追う道を突っ走るかもしれない。

夫も同じようなことを言っていた。

被害者の方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

私がまだ高校生か、予備校生だった頃、帰宅が遅くなると、

母が駅まで迎えにきてくれた。今から20年以上前のことで、

事件らしい事件なんてない街だったが、それでも母は心配

でたまらなかったのだろう。

あるとき、深夜に近い時間に駅に着いたことがあった。

いつもどおり母が迎えに来てくれる姿が遠くの方に見えた。

しかし、どうも一人のようではない、横に何かある、というか、

誰かいるような・・・・

ちょうど後方から来た車のヘッドライトにで、母と誰かの姿が

逆光で浮き上がった。母の横にいたのは白髪がざんばら気

味で腰の曲がった祖母だった。祖母は、深夜に娘・・・これは

私のことではなく母のこと・・・が一人で歩くのは危ないといっ

て、娘を心配するあまりに、文字通り腰の曲がった身体に鞭

うって、駅まで母に付いてきたのであった。ある意味、鬼気

迫る姿であったのが、強烈な印象となって記憶に残っている。

母は強し。そして、いくつになっても、母は娘を心配する。

当時18歳ぐらいであった私と、50歳前ぐらいであった母、80歳

ぐらいであった祖母、と3人で夜道を帰った。

その道は、まさに今回事件のあった道なのであった。

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