トップページ | 2007年8月 »

2007年7月

2007年7月28日 (土)

子猫を抱きしめていた息子

前回、唐突に「犬・猫里親募集」について書いた。その訳は、息子が親には黙って、捨てられていた子猫を見捨てられず、亡くなった祖母の家で世話をしていることが発覚したことに端を発する。

母が亡くなって以来、母の家の管理(お線香あげ、風通し、簡単な掃除など)は、主に息子の任務となっていた。本人も、一人前扱いされたからか、大好きなおばあちゃんのために働くのがうれしかったからか、嬉々として母の家に通っていた。

しかしそのうち、息子が母の家にいる時間がかなり長くなっていることが窺われるようになってきて、何をしているのか尋ねても、「掃除とか風通しとかいろいろだよ」、と答えるだけ、なんか隠している、あやしい・・・・

結局、道端に捨てられて狂ったように鳴いていた子猫を見捨てておけず、かと言って厳しい父親に叱られるのも怖くて自宅に連れて帰れず、亡くなった祖母の家に連れて帰って、隠れて世話をしていたのだった。

ペット飼育厳禁の母のマンションで、実に困ったことをしてくれたと思う気持ちと、子猫がかわいそうだという気持ち、息子の優しさや祖母を亡くした寂しさ、いろいろな思いが頭の中を渦巻いた。私は、正直なところ、どうしたら良いのか判断できない状態になった。

続きは、また、後ほど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月27日 (金)

犬・猫の里親募集

ここで、なぜ「犬・猫の里親」なのか?
実は、昨日から犬猫里親募集サイトの入口をひっそりとブログの隅っこに設けましたので、ペット飼おうかな?なんて、ちらりとでもお考えになったことのある方々、犬・猫を嫌いでない方々は是非、ご一見ください。
これには、訳があるのですが、すごーく長くなりそうなので、続きは別に書くことにします。
なぜかつい、今回だけは「です、ます」調になってしまっているのが自分自身でも妙なのですが、やっぱり基本、お願いの内容だからでしょうかね?

という訳で(訳は別に書くったのでは?、というツッコミがはいりそうですが、とにかく)、里親募集サイトをよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「トトロの樹」の由来

私のハンドルネームはtotoronoki  (トトロの樹) である。

スタジオジブリ、宮崎駿監督作の名作、「となりのトトロ」を知らない人は少ないのではないかと思う。
息子は、保育園に通っている頃、登場人物全員の台詞をすべて暗記するほど繰り返しビデオを見ていた。
私の母は、千葉に来る前に名古屋で定年退職まで会社勤めしていたが、職場の隣が映画館だったため、「となりのトトロ」が上映されている間中、何度も繰り返し見に行ったと言っていた。

さて、私のハンドルネームである。なぜ、トトロの樹、なのか。当然ジブリのトトロと関係がある。

息子が生まれ、私の母は、息子が生後3ヶ月になるまで、名古屋と千葉を行ったり来たりしながら、出産後体を壊した私のかわりに育児と家事をやってくれていた。

母は息子を抱いて窓際やベランダを歩きながら、周りの景色を眺めていることが多かった。うちは坂のてっぺんに建つマンションの6階で、街全体、海まで見渡すことができる。その頃ちょうど、近くでマンション建設中のクレーンが2基見えていた。

どんなところか見に行ってみよう!ということになって、母、私の夫、私、息子と4人で散歩がてら、クレーンのあたりを目指して歩いた。徒歩5~10分ぐらいのところに、マンションの工事現場とモデルルームがあり、自然の流れでモデルルームにはいった。

資料をもらい、いろいろ説明され、母はウキウキしていた。母は、自分の実家か、父が勤務していた会社の社宅にしか住んだことがない。ひとり暮しの経験ゼロ。モデルルームにいるうちに、64歳にして人生初めて自分の家で一人暮ししてみたい、という、夢?やら野望?やらがムクムクと盛り上がってきたらしかった。しかも、近所には、「Mam、Help me!!」と全身で助けを求めている娘と孫がいる。

モデルルームを出たところに、道祖神と書かれた小さな赤い鳥居と祠があり、その奥には、樹齢どれほどかとうならせるような、幹の太い、天いっぱいに枝ぶりをひろげた巨大な樹木があり、圧倒されながら見上げた。樹木に精霊というものが宿るのであれば、この樹には間違いなく精霊が宿っていると感じられた。後に母がこのマンションに住むようになって、いつしか、私たち家族は皆、その樹を「トトロの樹」と呼んで畏敬の念を持つようになっていた。

深夜に母の家から自宅に戻るとき、樹木の精霊から話かけられたような不思議な感覚を覚え、必ずトトロの樹を見上げた。母の生活をトトロの樹が見守っているようで、心の中で「よろしくお願いします」とお願いしながら自宅に戻ったものだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月24日 (火)

四十九日法要

死体検案書によれば、母の死亡推定日時は2007年6月10日

頃となっている。「頃」なのだから、もしかしたら6月9日なのか

もしれない。本当のところは誰にもわからない。

このことは、私にとってかなりつらいことのひとつである。

とはいえ、人の世の倣い、各種手続き、段取り上、一応「死亡

日」というものを特定しておかないと、いろいろなことがスムー

ズに進んで行かないことになってしまう。

だから、母の死は2007年6月10日としてすべてが粛々と進め

られていく。

ということで、四十九日法要である。

6月10日を起算日とすると7月28日が四十九日であるのだが、

諸般の事情により7月21日に行うこととなった。

前回書いたとおり、息子は合宿に行っているため、法要には

出られなかった。中学にはいって初めての部活の合宿と、大

好きな祖母の四十九日法要、息子はどちらかを選ばねばな

らなくなった。彼にとってどちらも大切であろうことはわかりき

っているから、酷なようだが本人に決めさせることにした。

結論は先に書いている通り、息子は合宿に行ったのである。

息子が合宿に行くことに決めたとき、どのように考えて決めた

のかきいてみた。

四十九日法要には出ないと決めた息子に対して、私の声は

少しとがっていたかもしれない。

しかし、息子の答えは、実にさっぱりしたものだった。

「おばあちゃんは、合宿に行きなさいい、って言うと思うから。

おばあちゃんて、人とのお付き合いとかすごく大事にするん

だよね。」

たしかに、偲ぶ思いの強さ、深さは形式の問題ではない。

以前、母は、母の母(私の祖母)の法要の際に、

「どこにいても、どんな状況にあっても、亡くなった人を偲ぶ

ことはできる。法要は形であるけれど、大切なのは気持ちで

あるはず。」

と言っていたように思う。

息子はそれを覚えていたようだ。もう数年前のことなのだが・

・・そして、息子は白馬に向かい、四十九日法要には出席し

なかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月22日 (日)

息子のこと 2

息子は、今、アーチェリー部の合宿で白馬に行っている。

中学に入学した頃は、てっきりサッカーだとか、水泳だとか、

そんな感じの運動部にはいると思っていたので、アーチェリー

をやってみたいと聞いたときには、少し驚いた。でも、息子は

空手に水泳と個人競技が得意な傾向があり、アーチェリーは

向いているかもしれない、と考えて入部を了承した。

その時点では、アーチェリーにはゴルフ以上にお金がかかる

なんてことはまったく知らなかったので、状況がわかるにつれ、

私の額に冷や汗がにじんだが手遅れである。

先日、部員の親の会の集まりがあり、アーチェリーは競技人口

が少ないため、国体やオリンピックも夢ではないかも、と他の

お母さんたちと盛り上がってしまった。母親って、本当に「ばか」

である。でも、そうでなければ親はやっていられない。

合宿はよほど楽しいのか、あるいはよほど大変なのか、息子か

らメールの返信は一切ない。浮世?から離れ、白馬の山々を

眺めながら練習にせいを出している息子の姿が目に浮かぶ。

来週の日曜日は中学生大会(全国規模の大会と聞いて仰天・・・)

があり、ついこないだ入部したばかりの一年生も全員出場する

という。ちょっと怖いくらいに、大胆におおらかな学校の方針に、

思わず感服してしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月20日 (金)

息子のこと

今朝、宅急便が来た。
息子が小学生5〜6年生のとき通っていた中学受験塾からだった。息子が合格者座談会に出席したときの記事が特集で掲載されている塾生向けの会報がお礼に送られてきたのだった。
息子は実の父母より、祖母に本音を話す傾向があった。話しをして気持ちがなごむ相手は祖母が一番だったようだ。息子の本当の気持ちを私の母経由で聞くことが多かった。実に情けない母親である。
息子は、軽い気持ちで始めた受験勉強が想像以上に大変なことだと気がついたらとき、自分の才能に自信を無くしたとき、そしてスイッチがはいったように頭が回り始めて受験に自信を持ち始めたとき、すべて祖母にそれを告げている。息子が精神的な面で受験を乗り切ることができたことには私の母とのつながりが大きな意味を持っている。母の存在なしに息子の受験成功は難しかったと思われる。
祖母であり、母親代理であり、恐らく大事な話し相手であった存在を唐突に失い、今、息子はどれほどの喪失感に堪えていることか。
私は、母親として、せめてそのことを胸に刻んで忘れないようにしよう。自分自身が母を失ったことに打ちのめされそうになったときにこそ。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

かかりつけ医の先生からの手紙 2

前回、母のかかりつけ医の先生からいただいたお悔やみの手紙を読みながら、涙が止まらなくなってしまったことを書いた。
言葉足らずであったので、続きを書く。
先生からの手紙にはこう書かれていた。

「たくさん病気を持たれていたけれど、明るくて楽しい方でした。失ってしまったことが残念でなりません。」

亡くなった人に対して、通常人は悪くは言わない。まずだいたい良いことだけを語ってくださるものだ。しかし、母の死後、多くの方々がわざわざ連絡してきて下さり、母がいなくなって力を落とした、ショックでがっくりしている、等々語って下さる。
母はまだまだ自分が死ぬつもりはなかったと思うので、いくら苦しみなく死が訪れたとしても、幸せな死だった、ということはできないかもしれない。
しかし、市井の75歳で無職無名の人間が死んだことで、これだけ多くの方々から、失ったことを残念に思う、と言っていただけることは、とりもなおさず母が幸せに生きた証なのだろう。
母の幸せが胸に響くとき、必ず同時に母を失った喪失感が胸に込み上げ、私の胸中はないまぜになる。そして気付くと私の視界はどうしても涙でにじんでいるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月19日 (木)

かかりつけ医の先生からの手紙

母のかかりつけ医の先生からお手紙をいただいた。大変丁寧なお悔やみの手紙で、心のこもった文章であった。私も受診したことが一度だけあるが、先生は私と母が親子であることはご存じなく、純粋に母のかかりつけ医として、ご家族様宛てとしたお手紙をくださった。一般的に、ご自分の診ていらした患者が突然死して、驚かれたり、哀しみの思いを持たれない先生はいらっしゃらないとは思うが、いただいたお手紙には、そういった通り一辺のものではない先生の優しいお人柄や、残念に思ってくださるお気持ちがじわりと伝わって来た。気がついたら、紙面が何箇所か濡れており、私はお手紙を握りしめたまま泣きじゃくっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月16日 (月)

福岡にて

福岡は良いところだと、以前からよく聞いていた。単身赴任して地元に戻ってくるのをしぶる人も少なくないという。
昼の博多は普通に地方の大きな都市だったが、夜の博多はワンダーワールドであった。どっちかというとアンダーワールドといった方がいいのかな?それでなんとなく単身赴任者のこの街への愛着の理由の一端を垣間見たような気がしたが、きっと、実はもっと奥深いのだろうなぁ。
こんな遠くまで来て、博多港の夕日を眺めていても、それでも、母の亡くなった現実世界と母が生きている非現実的パラレルワールドとを行ったり来たりする状態に変わりはない。とはいっても、母の生死以外は何も違わないので、生活上の支障は今のところ生じていない(と思っているのだが・・・・)。
この状態はいつまで続くのか、今はまだ見当がつかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月15日 (日)

旅に出て

母を亡くしてから、1ヶ月以上たつ。何が悲しいのかますますわからなくなっていくばかりの日々な中でも、もともと入っていた予定はこなさなければならない。
そんな訳で、台風4号に立ち向かうように、東京から福岡に飛行機で飛んで来た。福岡は、台風一過で快晴。羽田空港の豪雨が嘘のようである。
博多駅から福岡国際会議場まで乗ったタクシーの運転手さんの言葉が妙に印象に残った。
「人間は自然に勝てない」たしかにそれはそうだ。最後は自然に還る。
70代半ばになっても60代の容貌のままであった母のことを、老いて衰えて最後は自然に還る存在であることを、私は忘れていたのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 8日 (日)

突然の別れ

「母の日や 母に詫びたきこと幾つ」

この日記は、母の死により始まる。

母は2007年6月10日、就寝中に突然亡くなった(と推定される)。

75歳だった。

これを書いている今からだいたい4週間前になる。

現実感・・は、まだ、ない。

眠っている、と思いたかったが、そうでないことはなぜかわか

った。

どう見ても「静かな寝顔」にしか見えなかったけれど、でもそれ

にしては、生きている人ではありえないような、超然とした美し

さがあった。

結局、一人で逝かせてしまった、 一緒にではないけれど、こん

なに近くに暮らしていたのに。そのことが、私を心を苛む。

「自然消滅、そんな死が私にはふさわしいとかねがね思って

おりましたので・・・」

母の書いた走り書きにこうかかれていた。遺言書の下書きの

ような内容のもの、でもまだ本格的に書くつもりではなかった

ように感じる。

本人にとっても、身内にとっても、「突然の」別れとなってしまっ

た。

冒頭の句は、母の句ではないかとと思われるが、よくわから

ない。

ただ、母の家の玄関に、母の筆で短冊に書かれて飾ってあっ

た。この句に何か特別の思い入れがあったと思われる。

そしてこの句ほど、今の私の気持ちを言い当てているものは

ない。

母も、自分の母に対して詫びたいことがたくさんあったのだろ

うか・・・

| | コメント (0) | トラックバック (1)

トップページ | 2007年8月 »